Presented by 埼玉縣信用金庫
Weps うち明け話
#301
献杯
 前回は#300のキリ番か。
「MDPはみ出し話」から通算して今回で666話目になる。
 98年の4月28日にアップした#001「おちゃらけTシャツ」がスタートだった。元々、4年後に控えたワールドカップ日韓大会を念頭において、それに関することを書いて欲しい、と依頼されたのだが、そのテーマで4年間続けるのは無理、と遠慮した。しかし、ではテーマは何でもいいから、と再度言われ、やや不安もあったがお引き受けした。
 当時、埼玉新聞社に勤務しており、その業務としてMDPを製作。94年から巻末に自分の意見を書くようになった僕だが、本業はMDPの編集(当時は県内少年スポーツもまだ担当していたが)と、月に一度ある埼玉新聞の「浦和レッズ特集」製作。その関係で、レッズのオフィシャルイヤーブックのサポーターに関するコラムや、オフィシャルハンドブックの巻頭ホームタウン特集などを書かせてもらうことはあったが、埼玉新聞以外の媒体に定期的に文章を書き、しかも報酬をいただくことなど考えたこともなかった。そういう意味では、このコラムが、フリーライター的な仕事をするきっかけになったのだ。

「何でもいいから」と言ってまで、僕に原稿を書かせようとしたのは大日本印刷(当時)の鶴川健(たけし)さん。
 大日本といえば、日本でトップクラスの印刷会社だが、すでに印刷業務だけではなく幅広い事業を手がけていて、レッズとパートナー企業との間をつなぐ代理店的な仕事も行っており、その責任者が鶴川さんだった。また、埼玉縣信用金庫さんの業務サポートも行っており、ホームページの管理運営も業務の一つだった。金融機関のホームページではあるが、業務の情報ばかりではなく、レッズのパートナーにふさわしくサッカーのコーナーを作ることを提案したのが鶴川さんで、その書き手の1人として僕をターゲットにしてくれた。MDPの巻末コラムが気に入ってくれたらしい。
 鶴川さんは、自らレッズサポーターとして、アウェイにも行くことはもちろん、仕事を通じてレッズのスタッフに提言を欠かさず、ときに苦言を呈することもあった。筋の通らないことが嫌いな人で、そのために人と衝突することもないではなかったが、怖いもの知らずというか、自分の信念を曲げることはなかった。そして福田正博さんの大ファンで、自分のメールアドレスにも「ggf」(ゲットゴール福田)と入れていたほどだ。
 僕のことは、このコラムの仕事を紹介してくれただけでなく、常に気にかけてくれていた。毎年、開催している「レッズサポーター望年会」にも来てくれるだけでなく賞品を手配してくれたし、僕が埼玉新聞社を辞め独立したときにも、新しい仕事を紹介してくれた。清風庵という個人事務所を株式会社にしたときに、設立時の株主になって欲しいとお願いしたときも快く引き受けてくれた。
 本当に僕にとって大恩人の1人だ。

 今年になって何度、試合で黙祷をしたことか。日本人として東日本大震災の犠牲者を、サッカー界に働くものとして松田直樹選手を、そして浦和レッズに関わるものとして森孝慈さんを悼んできた。本当に悲しい出来事が多い年だ。
 先日、また悲しい知らせを聞いた。
 鶴川さんが、亡くなっていた。
 以前から病んでおられたし、7月17日に森さんが亡くなられたときも、お通夜や告別式に来られないほどだったから、かなり良くない状態かもしれないと、正直言って覚悟はしていた。森さんの訃報を聞いて、力を落とさなければいいが、と思っていた。
 だが、実は7月初旬に他界されていたと聞いて、驚いた。
 奥さんに、自分が亡くなったことを3か月は誰にも話さないように、強く言っていたそうだ。
 その言葉を1か月間も守ってきた奥さんだが、すでに退職していた会社関係の手続きのことで、やむなく打ち明けたらしい。8月7日のことだった。

 武田信玄かよ!鶴川さん。
 武田信玄が「自分の喪を3年秘せ」と本当に言ったかどうか定かでないが、それは他国から攻められるのを防ぐためのこと。鶴川さんは、自分のお通夜や告別式で周りに迷惑をかけたくなかったに違いない。水臭いにもほどがあるが、本当にそういう人なのだ。
 ご自分の最期にあたっても、他人を気遣うその心情。この1か月間の奥さんの胸中。そして最後のお別れができなかった残念さ。いろいろな思いが重なって、しばらく力が出なかった。ちょうど先週はこのコラムの更新が休みだったことまでもが、鶴川さんらしく思えてしまった(#299は先に書いておいたもの)。それが仕事に表れては鶴川さんに叱られてしまうから、頑張ってきた。お別れの会は、ご本人の意向どおり10月に行われるのではないかということだ。
 だが個人的に時間が合う者同士なら偲ぶ会をさせてもらっても、許してくれるだろう。今日は鶴川さんとよく行った浦和の「ばすぼーい」で、知人数人と一緒に献杯をする。そういえば数年前に鶴川さんの還暦のお祝いをしたのも「ばすぼーい」だった。

   このコラムの生みの親とも言える、そして僕の大恩人、鶴川健さん。ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。
(2011年8月16日)

EXTRA
 早くみなさんに知らせたかった。でも月曜は取材で忙しかったし、内容的に#300を先にしないと鶴川さんに叱られる。そんなわけで本日、2回目の更新になってしまった。

(2011年8月16日)

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