Weps うち明け話
#305
掛け違えた場所
 9日経って今さらだが、自分でも思うが9月7日(水)の「Talk on Together」に出ていた思った。
「最初にボタンを掛けたところまで戻らないと問題は解決しないんじゃないか」と。

 いまファン・サポーターが憤っているのは、成績の悪さが一番の原因のように見える。「ように見える」というと本当はそうじゃないと言っているように聞こえるが、そのとおりだ。この時点で降格圏に勝点7差しかないという成績に、不安を通り越して怒りを感じていないサポーターはいないだろう。だが、それは怒りを呼ぶ一番の引き金であっても、一番の原因ではないように思う。原因は、最初にボタンを掛けたところまで戻らないと見えて来ない。
 僕が思う、今のレッズが抱える最大の問題は、サポーターのクラブへの信頼感が薄まってきたことであり、その一つのきっかけになったのは、去年のシーズン終了時に打ち出した方針だ。

 それは「路線の継続」という考え方に齟齬を生んでしまったことだと言える。
 フィンケ監督からペトロヴィッチ監督への交代に当たってクラブが強調したことは「2年間やってきたことは継続する」「その上で足りない部分を上積みする」。大きく言ってこの2点だった。
 サポーターの多くは「勝利」「タイトル」とともに、努力を無駄にしないことを求めている。09年からの2年間、チームは新しいサッカーを身につけるために努力してきたが、思うように勝てなくても応援を続けてきたサポーターも「我慢」「覚悟」という努力をしてきた。それを無にされるのはごめんだから、やってきたことの継続性というのを非常に大事にしていると思う。クラブもそれをよく知っているから、「継続」を強調した。その結果、多くのサポーターは、フィンケが2年間やってきた、複数の選手のコンビネーションを重視して局面を打開していくサッカーを継続していくんだな、と受け取った。フィンケのサッカーが、あるいはフィンケ自身のことを好きでも嫌いでも関係なく、そう思ったはずだ。

 だが年が明けて、展開されるサッカーは、選手の流動的な動きよりもそれぞれのポジションを守ることを大事にし、コンビネーションより個人の力を重視するサッカーに見えた。「去年までのサッカーと全然違うじゃないか!」そのことを指摘されると、「引いて守ってカウンターを狙うサッカーではなく、自分たちが主導権を握ってアグレッシブに戦う、というレッズのコンセプトは一貫している」とクラブは答えた。
 去年の暮れにクラブが言っていたのは間違いなく「2年間やってきたチーム作りは継続していき、スタイルの完成を目指す。そこに加え、もっと積極的にゴールを狙う姿勢を強める」と言うことだった。それが僕の思いすごしだったはずはない。ここが、多くのサポーターがクラブのチーム作りに関する一貫性に不信感を抱く大きなポイントではないだろうか。あの時期に、「自分たちが主導権を握って戦う、という姿勢は変えない。だが具体的な戦い方については新監督に委ねる」と言っていたら、監督交代への反対意見はもっと噴出し、チーム作りとは何なのか、そもそもレッズスタイルとはどういうものなのか、という議論が沸騰していただろう。だがクラブはそれを回避してしまった。そこが僕が考えるボタンの掛け違えの場所だ。
 もしも、順位がせめて1ケタだったら――引き分けが10あるのだから、それはあり得ないことでもない――、どうだったか。ここまで不満は噴出していなかっただろうが、不信感そのものはずっとくすぶっていたと思う。今の成績だけでなくレッズの将来が大事だと思っているサポーターは、クラブが想像するよりもずっと多いはずだから。

 MDP395号にも書いたが、現実の世界ではボタンの掛け違いを時間をさかのぼって直すことはできない。それは今を走りながら修正していくしかないのだ。
 クラブ運営、チーム作りの方針が、結果的に失敗すること、振り返ると間違っていたことなどは、あるのが普通だ。大事なのは間違いや失敗を糊塗するのではなく、痛みもサポーターと共有しながら進んでいくことではないか。

 水曜のナビスコ杯とはいえ、埼スタでの公式戦ホームゲーム入場者の最低記録を更新してしまった9月14日。もし、あれがさいたまダービーでなかったら、もっと少なかったかもしれない。
 入場者減の問題を考えるとき忘れてはいけないのは、レッズが勝てないからスタジアムに来なくなった人は勝ち出せば戻ってきてくれるかもしれないが、クラブへの不信感がたまって来場しなくなった人は、容易に戻って来ないかもしれない、ということだ。J1残留を確保することが今の最大の課題だが、それと同じくらい大事なことはクラブへの信頼を取り戻すことだろう。
(2011年9月16日)

EXTRA 
 現実の流れはずっと続いている。今起こっていることの原因は過去にあり、その原因はさらに過去にある。去年の暮れにボタンを掛け違えたとして、それはなぜ起きたのか、ということも考える必要はある。が、それもやはり元には戻せないのだから、今後進んで行くための材料にするしかない。一番危険なことは総括なしに進んでいくことだ。

(2011年9月16日)

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