Weps うち明け話
#306
3年間
 ゴールを挙げた矢島慎也のところへ野崎雅也が祝福に駆け寄った。 「あ、このシーン…」

 9月18日(日)、ヴェルディグラウンド。高円宮杯プレミアリーグ第12節、東京ヴェルディユース対浦和レッズユースが13時から行われていた。この日は16時から、関東ユース(U-15)リーグの第8節、東京ヴェルディジュニアユース対浦和レッズジュニアユースが同じグラウンドで行われ、僕にとっては、移動なしでユースとジュニアユースの両方の試合を取材できる、ありがたい日程だった。
 ユースの試合では、前半1-0で折り返したレッズが後半14分に追加点を挙げた。冒頭の場面は、そのときのものだ。来季、レッズでプロになることが決まっている矢島と野崎。チームのトップスコアラーとキャプテンなのだから、今年のレッズユースの試合を何度か見ているなら、格別珍しい場面ではない。

 だが、僕の頭に浮かんだのは3年前のものだ。
 2008年6月22日のヴェルディグラウンドでは、第23回日本クラブユース選手権(U-15)関東予選3回戦が行われていた。前日の2回戦、Jクラブの下部組織ではないチームに1-1の末PK勝ちで何とかベスト16入りを果たしたレッズジュニアユース。全国出場権の8強をかけた3回戦の相手は東京ヴェルディジュニアユースだった。
 朝から強い雨が降る日で、僕は交通渋滞のため少し遅れ、グラウンドには前半が終わるころだった。状況がわからないままピッチを見ると遠い方のゴールでCKになっていたが、雨のためにどちらのボールか判別しにくかった。だが、そのCKからゴールが決まり、両ベンチの様子からレッズが失点したことがわかった。
 後半から試合の写真を撮り始めた。ヴェルディが主導権を握っている。レッズは、得点源の矢島慎也が何度も相手のオフサイドトラップにかかり、チャンスをつぶす。このまま負けると、8チームで全国出場1枠を争う9位決定トーナメントに回らなくてはいけない。
 焦っていたのは僕だけだったようだ。後半20分、中盤から縦パスが出た。前線の矢島がボールを見ると、ヴェルディが一斉にラインを上げる。だが矢島はボールを追わずスルー。代わって二列目から飛び出して来たのは、後半開始からトップ下に入っていた野崎雅也だった。オフサイドはない。慌ててスライディングに戻るDFをかわし、同点ゴールを挙げた。
 この同点で前がかりになったヴェルディの逆を突き、3分後に野崎のパスから堀田稜が逆転ゴール。そのまま2-1でレッズが勝ち、全国出場を決めたのだった。
 試合後、同点の場面について矢島は「相手がラインを上げたところを二列目から飛び出せばいいと思っていた。雅也が出てくるのが見えたので、自分がオトリになった」と、狙ったプレーだったことを明かした。また当時、FWか攻撃的MFでプレーしていた野崎は「ふだん試合に出られない分まで、自分が流れを変えるつもりだった」と語った。

 今年の8月26日、2人のトップ昇格が内定したと聞いたとき、僕はすぐにこのシーンを思い浮かべた。特に野崎は、中学3年生の春からレギュラーの座を確保していたわけではなく、途中出場で結果を出すべく努力していた。チームを救ったあの日の1点は、その後の彼に大きな影響を与えたのではないだろうか。
 今回、レッズユースとジュニアユースが試合をしたピッチは、3年前のピッチの隣。実はこの日も交通渋滞で前半に間に合わず、ハーフタイムにグラウンドに入ったとき、横を見て「ああ、このグラウンドだったな」と感慨を覚えたものだった。そしてゴールが決まり、矢島と野崎の笑顔が目の前に現れたとき、「あ、この場所で(隣だけど)、この相手と、このシーン…」と光景が蘇ってきたのだった。ゴールした選手と駆け寄る選手が逆だけど。

 ところで、ずいぶん前の思い出のような気がしていたが、まだ3年前の話。08年といえば、開幕2連敗でオジェック監督が解任され、エンゲルスが後任になった年だが、この6月22日のころ、レッズはリーグ首位にいたのだった。
 多くの若い選手たちが、Jリーガーになること、あるいはサッカーで成功することを目指して、この3年間精進を続けてきた。一方、チームの再構築を掲げていたトップは…。
 目標と過程に確固たるものがあったか。決めたことをブレずに貫いてきたか。いま思えば胸を張ってそうだとは言えない。レッズのような組織で3年方針を貫くことは、個人が3年間頑張り通すよりも難しいということだろうか。
(2011年9月22日)
写真1 写真2
2008年6月22日、ゴールを挙げた野崎(右)と矢島 2011年9月18日、野崎(左)とゴールを挙げた矢島
 
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