Presented by 埼玉縣信用金庫
Weps うち明け話
#315
2011シーズンとは・その2
「その1」に1と2があり、「その2」に3があるのも読みづらいと思いますが、ご勘弁を(甲乙丙丁とかにすれば良かったか)。

3.目標の根拠

 今回、柏レイソルがJ1に復帰したシーズンにリーグ優勝を果たしたのは本当に素晴らしいと思うし、手が届かないうらやましさを感じる。「手が届かない」というのは、たとえば鹿島のリーグ3連覇やシーズン三冠であれば、いつか手が届き、追い抜く可能性もなくはないが、「J1復帰したシーズンに」という条件がつく状況は、まっぴらだからだ。

 レッズがJ1復帰を決めた2000年11月19日から、翌年のJ1開幕までの間、僕は(僕たちは、と言ってもいい気がする)何の根拠もなく「2001年のJリーグを制覇して、この2年間のうっぷんを晴らす」と考えていた。根拠を聞かれれば、「だって俺たちは浦和レッズだから」としか言いようがなかった。
 当時は、J1復帰を果たしたのもギリギリだったことや、監督を始めとする主要コーチングスタッフ・外国籍選手3人が初めて全部ブラジル人になって一からチーム作りをやらなければならないこと、新監督のチッタが監督としてのキャリア2年目で指導者としては輝かしい実績がないことなど、頭にはなかった。ただ、優勝したい!それだけだった。
 それをクラブも否定はしなかった。「STRIKE BACK(打ち返す)」をキャッチフレーズにスタートしたシーズン、目標を「J1定着」などという控えめなものにする考えは微塵もなかったに違いない。チッタ監督だけが、口を開けば「みんなが喜ぶようなことを言いたいが、2部から上がったばかりのチームが、いきなり成功するのは難しい」と現実的なことを言っていた。そして結局そのとおりになり、最後には降格圏まで迫ってきた。

 今回、柏が優勝した要因はもちろん、チームの力ということに尽きると思うが、もしかすると何パーセントかは、「二度目のJ1復帰」ということがあったかもしれない。
 柏は2006年をJ2で戦い、最終節で2位昇格を決めた。当然「二度とJ2には落ちない」という決意もあっただろうし、「J1で優勝を」という意気込みも翌年から持っていただろう。しかし2009年に再びJ2降格。このときのクラブとサポーターの無念さは想像に難くない。2010年のJ2をぶっちぎりで制してJ1に復帰した今年は、チームもクラブもサポーターも、「今度こそ」と思っていただろうし、何よりその心構えも準備も怠りなかったのではないか。

 よそのチームのことを想像で長々と言っていても仕方がない。
 優勝を目標にするからには、それなりの根拠と体制を組まなければ、口先だけのことになってしまう。
 2001年のレッズが正にそうだった。だから2002年に出された「今は優勝できないだろうが、3年かけて強いチームを作る」というクラブの宣言を、サポーターも不承不承ながら認めて、それを拠りどころに応援していったのだ。「言葉だけ『優勝する』というのは、もう聞き飽きた。現実的な方針なら我慢する」と。
 夢は必要だが、その夢と現実の間に道が見えなければ、むなしくなるだけなのだから。 

 そういう経緯があるにも関わらず、今季「タイトル奪取」を目標に掲げたのは、どうしてだろう?フィンケ監督の2年間で、パスの意識はチームに染み付いたが、順位は6位から10位へと落ちたし、年間総得点は43から48と5しか増えていない。
 監督をペトロヴィッチに替えることで、得点の意識を強め、勝利への執念を燃やす、という上積みを図るというクラブの意図は理解できるが、
(1)ペトロの監督としての実績のどこに、就任1年目での優勝の可能性を見たのか
(2)チームの戦力は、補強や契約満了のプラスマイナスで前年より大きく前進すると判断したのか
(3)得点の意識や勝利への執念を上積みする前に、サッカーのベースが変わってしまうという懸念を抱かなかったのか

 という疑問が残る。
 平たく言えば「何を根拠に、優勝が目標って言えるんだろう?」という思いがずっとあった。にもかかわらず、それをクラブにストレートにぶつけられなかった僕自身に、後悔がある。それを僕が追及しても自己満足でしかなかったかもしれないが。
 だが同時に、クラブが「優勝」を口にせざるを得なかった理由も想像できる。その理由についての考えを「4」で書こうと思ったが、時間がなくなってしまったので、来週また。
(2011年12月16日)
EXTRA
 2011シーズンとは・番外編を清風庵のホームページ「春夏秋闘」にアップします(土日のうちに)。http://saywhoand.jp/
(2011年12月16日)
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