Weps うち明け話
#323
歴史と「いま」
 今年の初め、ボーっとしているときに、こんなことを考えた。ボーっと考えていると、テーマがあっちこっちに行ってしまう。読みにくいかもしれないがご容赦。

 僕がもの心ついたのは1960年代前半。そのころに西暦2012年という年は頭に浮かばなかったが、思えば千年紀をまたいで生きていられる人間というのはごく稀なわけで、世紀ですら切り替わりを経験しない人もいる。それを体験できたのだから、ある意味で運が良いとも言える。
 特に、僕が生きてきたこの50数年というのは、技術が急激に進歩し、社会が劇的に変化した時期ではないだろうか。こういう時代に生きているというのは、運が良いのか良くないのか。自分の父親は終戦当時18歳で、あと少し戦争が続いていたら前線へも配置されていたかもしれなかった。それを思うと、自分の国が戦争当事国になっていない時代に生きてきたのは幸せなのだろう。

  自分も今年で55歳になる。アメリカの大統領や日本の政治家、社会の第一線で活躍している人の年齢を聞くたびに、自分が生きてきた長さと、してきたことの少なさを感じて残念な気持ちになる。50歳になる前に殺された織田信長や、61歳で死んだ秀吉というのは、現代に比べると長くない人生の間に大変な偉業を成し遂げてきたんだなあ。でも戦国時代を生き抜いてきたのだから、運もあったのだろうな。ところで戦国時代っていつからいつまでだ?調べた。1467年から始まった応仁の乱のころから、織田信長が天下を取りかけたころまでを言うらしい。約100年とある。
 100年!そんなに長い間、日本のどこかで戦が日常的に行われていたのか。てことは、戦国時代に生まれて戦国時代に死んでいった人、平和な暮らしが何年も続くということを経験していない人も大勢いたということか。

 そういえば日本の終戦から今年で67年。一応、というと怒られるけど日本国民が戦火にさらされることがなくなって、まだ70年も経っていないんだ。600年前に戦国時代が100年続いたことを思えば、もしかして今は「つかの間の平和」と言えるんじゃないか?もちろん戦争をしない努力は600年前とは比べ物にならないくらい、されているのだが。

 そういう意味では江戸時代ってすごいよなあ。何がって260年も続いたんだから。最後は内乱の時期もあったし、その前からひずみは出ていたけれど、とにかく同じ政治体制が260年続いたというのがすごい。
 平安時代の方が長い?たしかに「鳴くよ(794年)鶯、平安京」から「いい国(1192年)作ろう、鎌倉幕府」までだから400年か。でも、この間に政治体制はマイナーチェンジを繰り返していたんじゃなかったっけ?藤原氏が実権を握ったり、上皇の院政が行われたり、平氏がトップに立ったり。まあ、いいや。言いたいのは、戦後の66年なんて、日本の歴史の中では短いスパンでしかないんだということだ。
 あ、いや。そもそも日本の歴史と言っても、文献などの資料が残っているのは聖徳太子でおなじみの飛鳥時代からで、その前の古墳時代より前は歴史学ではなく考古学の世界だ。その古墳時代は約400年、その前の弥生時代は700年、さらに縄文時代は数千年だといわれている。僕たちが具体的なイメージをもって学べる日本の歴史は飛鳥時代からの1500~1600年間ぐらいのもので、それすらも日本人の歴史全体からすれば数分の一ということになる。

 100年後の日本で、平成時代はどう位置づけられているだろうか。子どもたちには、日本にとって重要な時期だった、としてとらえられるのだろうか。それとも戦争をはさんだ激動の昭和時代の続きとして軽く流されてしまうのだろうか。平成23年=2011年に起こった大震災を不幸な契機として、国民が互いに手を携え、助け合って生きていくようになった時代、とは教えられないのだろうか。
 そしてJリーグだ。
 教科書には、「いま市民の暮らしに根付いているJリーグは、平成5年=1993年から始まった」と書かれているだろうか。それとも「平成時代には、ヨーロッパや南米では一般的なプロのサッカーリーグも始まり、数十年は続いたが…」とトピックス的に取り上げられる項目になってしまっているだろうか。

 地球の誕生からくらべれば、その表面で生きてきた人類の歴史など、ごく短い。
 その人類の歴史の中でも、文字による資料がある「有史」は、ほんの少しだし、その中でも日本では戦後史とイコールの「現代」になるとわずかなものだ。

 マクロの目で見ると、本当にちっぽけな「いま」。
 だが一人の人間は、その「いま」を全力で生きているし、それが積み重なって1年になり、10年になる。
 もし「浦和レッズ50年史」が敢行されたら(そのころ出版文化は残ってるのか?残ってたらMDPも1000号ぐらいになっているのか?)、2008年から2011年はどう位置づけられるのだろう?
「2003年から続いたタイトル獲得の期間に、次の時代の準備をうまくできずに、長く続く低迷がここから始まった」と書かれるのだろうか。
 それとも「2012年から取り戻した隆盛、そのための試行錯誤の4年間となった」と記述されるのだろうか。そうであるなら、「浦和レッズ100年史」にはこう書かれるかもしれない。

『設立当初は最下位に甘んじ、2000年にはJ2も経験した浦和レッズだが、2003年のナビスコ杯獲得を皮切りに、ほぼ毎年タイトルを獲得する常勝クラブに変貌した。』

 これから20年、30年、毎年タイトルを獲っていけば、2008年からの4シーズンぐらい「ほぼ」で片付けられる短い時期として見られるしれない。歴史が積み重なっていくと、概括でしか語られなくなるからだ。
 だが百年後にそうなるためには「いま」を生きる者たちの精いっぱいの頑張りが不可欠だ。遠い昔に生きてきた先人たちが、自分たちが後世の歴史書にどう記されるかなど気にせず、その時代を懸命に生きてきたように。
(2012年1月30日)
EXTRA
「2012レッズサポーター望年会」に参加申し込みいただいた方々には、すべて返信いたしました。まだ返信メールが届かない方はご一報ください。
 なお、まだ会場に余裕がありますので、今からでも参加希望の方はぜひお申し込みください。ただし整理の都合上、2月3日の朝までとさせていただきます。
 語り合いましょう。僕たちの「いま」である2012シーズンを精いっぱい頑張るために。

(2012年1月30日)
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