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Weps うち明け話
#327
来年もう1回言ってくれ
「すごいですね」
 2月26日(日)、大原サッカー場で行われたレッズとヴァンフォーレ甲府との練習試合の後、盛田剛平は周囲を見回して、多くの元レッズ在籍選手と同じ反応をした。
 2003年以前にレッズを離れた選手は、今の大原サッカー場を知らない。毎日そこに通い、そこで着替え、練習し、シャワーを浴び、ときには出前で食事も取り、という生活を送っていたものにとって、大原サッカー場の設備の変化は「すごい」としか言いようがないのだろう。僕が知っている他のクラブの練習施設は数えるほどだが、そこと比べて格段に大原が素晴らしいという感じはしない(レントゲン撮影の設備があるのは、もしかしたら珍しいのかもしれないが)。
 だから、移籍してきた選手から「すごいですね」という反応は聞かれないが、以前の大原しか知らない元レッズ選手は、一様に驚く。「何で自分たちのときには…」という思いもちょっぴり入っていそうだ。
 1999年から2シーズンレッズに在籍した盛田もその1人だろう。ちょっと意外だったが、「新」大原には初めて来たらしい。

 今季から甲府の一員となったDF盛田は、練習試合の3本目に出場した。まだレギュラーの位置にはいないのか。それとも、もう力がわかっているから、あえて3本目だったのかはわからない。
 彼がDFでプレーする姿は広島時代、何回か見たが、99年から2年間、前線でしか見てこなかった僕としては違和感がある。というより、写真を撮っているときレッズの選手を背中から見る機会は、紅白戦以外あまりなく、試合中の盛田の姿と言えば、中盤でボールを持った味方に対して、片手を上げてアピールしゴール前に走り込むシーンが記憶に残っている。

 あれは、2009年のシーズン前、レッズが初めて宮崎でキャンプを行ったときだった。練習試合のためにやってきた広島のメンバーの中にいた盛田は、僕の姿を見つけると懐かしそうに寄って来て、こう言った。
「清尾さん、信じられますか。俺とかミヤがJ1ですよ」
 ミヤとは、モンテディオ山形に所属する宮沢克行のこと。やはり99年に明治大学からレッズ入りし01年まで在籍していた。
 2009年と言えば、広島がJ1復帰、山形がJ1初昇格をした年。彼らにとってはプロ11年目で、新しい挑戦となるシーズンだった。冗談めかして、そういうふうには言ったが、レッズ時代にはあまり大きな実績を残せていない自分たちだが、こうやってJ1の舞台に戻ってきましたよ、というプライドのようなものを感じた。

 奇しくも2人とも、盛田は移籍で、宮沢はチームの降格で、プロ14シーズン目をJ2で戦うことになった。
 盛田はレッズと広島でJ1昇格を2度経験している(大宮の昇格時はもう広島に移籍していた)。宮沢にいたってはレッズと新潟、そして山形で3回の昇格を経験。いや、新潟と山形では昇格を牽引してきた。
 レッズに一度でも在籍した選手には、その後もJリーグで、あるいは引退してからも頑張って欲しいと思うが、とりわけ99年、00年の苦しいシーズンを闘った戦友でもあり、本当に愛すべき「良いヤツ」だった彼ら2人には、3度目と4度目のJ1昇格を果たし欲しいと心から思う。
 そしてできれば来年の今ごろまた、「清尾さん、俺たちJ1にいますよ」という言葉を聞きたいものだ。

(2012年2月28日)
EXTRA
 おかしいな。パソコンは何回か代替わりしているが、単語登録した辞書機能はそのまま移行しているはずなのに「こうへい」と打って「剛平」の字が出ない…。と思ったら、パソコンを使い始めたのは2002年で、盛田剛平がレッズに在籍していた当時、僕が使っていたのはワープロだったか。
 同様にずっと名前の変換登録を引き継いでいる選手がいる。
 この日の練習試合1本目では、山田暢久と、日本で唯一彼よりJ1出場試合数の多い伊東輝悦選手がマッチアップする貴重なシーンがあった。盛田も宮沢も、山田暢久より1歳、伊東輝悦より2歳若いのだ。そう思ってまだまだ頑張って欲しい。
 ところで去年までなら、他クラブや選手に対して「J1昇格して欲しい」などと言うのはエラそうな気がしていた。今だって傲慢かもしれないが、昨季J1残留争いをしたことで、逆に割り切って言えるようになった。


(2012年2月28日)
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