Weps うち明け話 文:清尾 淳

#968

まだ自分の時代でもあった

 仕事でも社会活動でも、自分より年上の人が「もう若い人に任せるよ」みたいなことを言って第一線から一歩引こうとすることがある。


 そんなとき、「いいや、まだまだ先輩に教えてもらいたいことはある。そんなことを言って楽しようとしても許しませんよ。まだまだ一緒にやりましょうよ」

 僕はそう思うことが多かった。


 先日、オフコースの曲『僕等の時代』を聴いていて、一瞬フリーズした。

 音が、ではない。僕の気持ちが、だ。


『僕等の時代』の中に『あなたの時代が終わったわけでなく あなたが僕たちと歩こうとしないだけ』(作詞・小田和正)という部分があるのだが、そこを聴くと(または歌うと)、いつも冒頭のような心情を思い浮かべていた。これまでは。


 ところが、つい先日は「これ、俺のことか?」と思い当たった。

 60歳を過ぎると多くの会社員は雇用形態が変わる。もしくは、最近では少なくなっただろうが、仕事から引退することもある。自分がその年齢を越えたこともあり、「もう若い奴とは話もあまり合わないし、パワーにもついていけないから」と、下の世代と新しいコミュニケーションを取ることに臆病になっていた自分がいた。


 13年前、24年間勤めていた埼玉新聞社を辞めてフリーになったとき、「MDPの製作をやり続けたいから」という第一義的な動機の他に、「60歳を過ぎても、定年がないから」ということも自分を納得させる理由にしていたのではなかったか。

 たしかに61歳になった今でもMDPの製作は第一線でやっているつもりだが、かつてそのバックボーンとして大事にしていた、サポーターとのコミュニケーションは以前ほど取っていない。いや、取ってはいるが新しい付き合いはこのところほとんどない。


 2014年から徐々に、試合の写真を撮らず、記者席から見ているようになった。レッズのオフィシャルメディアに関わるスタッフの役割が整理される中で、清尾はもっとペンに集中するように、というクラブの要請によるものであり、それ自体はしごく真っ当なものだ。当初は寂しさもあったが、試合を試合中にメモを取りながらしっかり見ることで、ずいぶんわかることが増えた。

 だがカメラマン時代は、試合前から試合後までピッチ周りにいることで、サポーターを至近に感じていたし、直接話もできたのだが、今はそれがなくなった。またMDPの編集自体も、フリーになってしばらくしてから2人体制でやっていたのだが、2013年から1人体制になったこともあり、試合前はプレスルームでデスクワークをすることが多くなった。


 試合前に必ずと言っていいほど開門待ちの場所や、スタンドに行って誰かと話をしていた時代に比べて、間違いなくサポーターとの付き合いは減っている。そして、それを年齢のせいにしていた。というより「60歳過ぎたオッサンと話はできない」と敬遠されるのが嫌だったという方が正しい。まさに「僕の方が若いサポーターと一緒に歩こうとしていなかった」のかもしれない。


 クラブから、いつまでMDPの製作を仰せつかるかはわからない。しかし、やっているうちは26年前と同じように、実際に応援しているサポーターとのコミュニケーションをもっと取らなくてはならない。

 かつては選手と話すよりサポーターと話す時間の方がはるかに長かったのに。


 動いている限り「もう自分の時代じゃない」などということはない。何歳になっても「僕等の時代」と呼んでいいはずだ。

EXTRA

 というわけで、今後ホーム、アウェイを問わず、試合前にスキンヘッドでADカードを首から提げているオッサンから話し掛けられても、なるべく付き合ってやってください。もちろん話し掛けてもらうのも歓迎です。

(2018年10月4日)

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