1. TOP
  2. Weps うち明け話 #994

Weps うち明け話 #994

責任の取り方(2019年12月11日) 

 

 

  むかしむかし、あるところに、ネルソン・バプティスタ・ジュニオールさんという、たいそう優れたサッカーの監督がいました。ネルシーニョという名前で知られる、その人は、1994年からヴェルディ川崎のコーチを務め、次の年から監督になりました。95年の1stステージは最後までもつれて2位でしたが、2ndステージははやばやとヴェルディを優勝にみちびきました。

 そのころ、日本代表は98年のフランスワールドカップ出場を目指していましたが、当時の加茂周日本代表監督では、アジア予選を勝ち抜けないということから、日本サッカー協会の担当者はネルシーニョさんに監督を任せようとし、ネルシーニョさん本人も承諾しました。しかし正式契約する前に、日本サッカー協会の会長さんが、加茂周さんに続けさせるという決定をしました。

 これに怒ったネルシーニョさんは、ヴェルディの試合の前に記者会見を開き、日本サッカー協会の対応を厳しく批判しました

 

 サッカーファンならもはや多くが知っている話なので、おとぎ話ふうにしようかと思ったが、あまり面白くならない。

 1995年11月22日、ヴェルディ川崎対浦和レッズの試合で、等々力陸上競技場に出かけた僕は、「○○時からネルシーニョ監督の会見を行います」とヴェルディの広報らしき人がアナウンスしているのを聞いて、「試合前に記者会見? ステージ優勝したことに関してか?」と的外れな疑問を抱いた。当時のヴェルディの強さは圧倒的で、この第25節(最終節の一つ前)の前にすでに2ndステージ3年連続優勝を決めていたのだ。そして日本代表の加茂監督が交代するかどうかというときでもあったが、僕の関心はただ一つ。福田正博がJリーグ初の日本人得点王になるかどうか、だけだった。

 このヴェルディ戦の前の時点で福田は得点ランク1位のスキラッチと1差に迫る30ゴールを挙げており、残り2試合で追いつき、追い越すことがレッズサポーターの願いだった。日本代表監督がワールドカップアジア予選を勝ち抜くのに、加茂さんでは不安があるから、ヴェルディで実績を挙げたネルシーニョと交代する話があり、それがまた変わって加茂さん継続になった「らしい」ぐらいの知識はあったが、詳しい経緯は知りたいと思わなかった。僕が携わっていたのはサッカーメディアではなくレッズメディアだったから(今も)。

 なので、その記者会見に行ったかどうかさえ覚えていない。ネルシーニョの「腐ったミカン」発言はそのときに飛び出したはずだが、それを生で聞いたのか、人づてに知ったのか、記憶にないのだ。日本代表の歴史の有名な一コマだったというのに。

 

 そんな僕だが、このときの日本代表監督人事をめぐる記者会見はテレビで見た。生放送だったどうかの記憶はない。

 そこで「もし加茂監督でワールドカップに行けなかったらどうするんですか」と記者に質問されて、当時の長沼健・日本サッカー協会会長が「私が辞めますよ」と答えた場面は鮮明に覚えている。

 このときに浮かんだ考えは二つ。

「責任を取って辞めると即座に言うのは、相当な覚悟があるんだろうな」

「あなたに辞められても、ワールドカップに行けないという事実はひっくり返らないんだけどな」

 AかBかという選択肢があって、Aに傾いていた流れを責任者がひっくり返してBにした。それで失敗したら責任を取るのは当然だ。辞任してA案を推した人があらたな責任者になる、という方法もあるだろう。しかし失敗した事実は変わらないのであり、責任者が替わっても多くの人が望んでいることは少しも実現に近付かない。

 当初の目的を何としても成功させる、という線で責任を取るという方法も模索されるべきなんじゃないか。

 

 

 今回挙げた例は、ワールドカップ日本開催前のフランス大会に日本が出場する、というのがミッションなのだから、それに失敗してしまったら、回復のしようがない。「4年後を目指す」と言っても4年後は開催国枠で出られるのだし、さらに4年後というと先が長すぎる。長沼さんは「失敗することは考えていない。失敗しないように、あらゆる手段を講じてアジア予選突破を図る」と答えるべきだったのかもしれない。

 

 ひるがえって我がレッズを見るに、ACL決勝第2戦から、JリーグF東京戦の間に、中村修三GMが今季で退任するという発表があった。昨年4月に就任して、1年8か月ぐらいの仕事だった。中村さんが監督人事に関してやったことは、オリヴェイラ監督の招聘(昨年4月)、同監督との契約継続(昨年12月)、同監督の更迭と後任に大槻監督を据えた(今年5月)ことだ。

 自らが呼んだオリヴェイラ監督を辞めさせざるを得なかったことは、実質的に自分の失敗を認めることだ。またトップチームの指導陣から外したばかりの大槻監督を再起用したことも同様だ。そして今季の国内大会の成績は非常に良くない。

 

 だが、就任時の感じでは「ワンポイントGM」ではなく、今後ずっと強いレッズを作ってくための、という受け止めをしたのだが、それは間違いだったのだろうか。

 監督の3年連続途中交代は一番避けたかっただろうに、そう決断せざるを得なかった相当な理由があったのだろうと思う。その失敗はGMの失点として残るが、別の見方をすれば経験、財産でもあると言える。GMが監督と「心中」していては、その経験を次に、すなわち強いレッズを作っていく仕事に生かすことができなくなってしまう。

 

 中村修三さんに限らず、チーム強化を担当する人は、失敗の責任を辞任あるいは退任という形で取る前にやるべきことがあると思う。失敗を次の成功のための財産として生かし、責務を全うする努力をして欲しい。その過程でサポーターから怒号を浴びせられても、どんなに逆風が吹いても、耐えなければならない。文字どおり石にかじりついてもやり遂げる、そういう覚悟を持って臨むべき仕事だと思う。

 

(文:清尾 淳)

 

ページトップへ