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Weps うち明け話 #1009

なんで去年から(2020年3月6日)

 

 あるサポーターが勤務先で「3月22日までのイベント参加自粛」を申し渡されたそうだ。

「自粛」というと、人によって感じ方に差があり、「命令じゃないからやってもいいよな」と考える人もいるようだが、この場合は無形の強制力があるものと考えた方がいい。中高生は「自習」とイコールぐらいに考えているのか、学校が休校になったのを幸い、出歩いている人もいるようだが(自習でもそれはダメか?)、僕が冒頭の話を聞いたサポーターは十分に大人なので、「18日にJリーグが再開されても行けないから困っている」と話していた。

 

 そこでも話題になったし、MDPに来ている投稿の中にも多いのが「なんで去年から、こういうサッカーをできなかったのか」というものだ。

 今季加入したレオナルドの存在はレッズデビュー即2試合で3得点と大きいが、去年と違う選手で試合に出たのは彼だけであり、他に4人の選手が2試合で今季初ゴールを挙げている。監督は続投で、選手の顔ぶれもほとんど変わらないのに、去年とサッカーが大きく違っている。なんでだ、と疑問が湧くのももっともだと思う。

 去年と今年、すぐにわかる最も大きな違いはシステムだろう。

 3-2-4-1から4-4-2へ。それが今季の変貌の背景なのだろうか。だとしたら「なんで去年から」、いやもっと前からそうしなかったんだ、と言いたくなる。だが、そんな単純なことのはずがない。

 

 浦和レッズは2012年から17年7月までの5シーズン半、ずっとミハイロ・ペトロヴィッチ監督が指揮を執ってきた。5シーズン半の在籍はレッズで断トツの最長だし、16年までのリーグ戦順位は3位、6位、2位、3位(年間勝点2位)、2位(年間勝点1位)とほぼ上位に入っていた。他にJリーグカップ優勝が1回、準優勝が1回、天皇杯準優勝が1回と、タイトルは一つだけだったが、多くの優勝争いに絡んでいたと言っていい。ということは、チームに3-2-4-1で戦うミシャ監督の戦術が浸透しており、選手たちがそれに確信を持ってプレーしていたことの証明でもある。

 

 少し話がズレるが、「チーム(のほぼ全体)に戦術が浸透」とか「選手たち(の多く)が確信」と言うべきかもしれない。そのとき、そのときに在籍していた選手たち全員がそうなっていたわけではなさそうだからだ。当時から指摘もされていたが、ミシャ監督は同じ選手を長く起用する傾向にあり、チーム全体に戦術が浸透していたのかどうか、選手全員が確信を持っていたのかどうか正確にはわからない。「浦和は結果を求められるクラブ」と同監督はよく言っていたが、その課題を達成するために起用する選手を絞らざるを得なかったという事情があっただろう。それによって自分の力を出す場がなかった選手もいたはずだ。顕著な例は、ミシャ監督がチームを離れてから頭角を表わし、今では中心選手となっている長澤和輝だし、いまは他チームで本領を発揮している選手も少なくない。

 本来は在籍選手の多くに実戦的な理解を深めさせ、チーム全体で戦っていくことが理想だったはずだが、そこは時間との闘い、求められるものの大きさとの闘いでもあった。先ほど挙げたミシャ監督の5シーズンで、リーグ戦の順位に比してカップ戦のそれがあまり芳しくないのは、リーグ戦の合間に試合が入ってくる連戦のなか、選手を替えざるを得なかったことも、敗退した理由の一つかもしれない。

 

 それほどミシャ監督のサッカーは特殊だったのだろうと思う。

 その後の堀孝史監督、大槻毅監督、オズワルド・オリベイラ監督は、そこからの転換に苦労したはずだ。たとえフォーメーションを同じ3-2-4-1にしても、監督が目指すサッカーの形が違えば選手の動きも違ってくる。ミシャ監督のサッカーが身体に染み付いている選手たちは逆にやりにくかったかもしれない。堀監督は4-4-2のシステムを定着させようとしたが、同時に2017年7月の監督就任にあたって、当時の淵田敬三代表がこんなことを言っている。

「ミシャさんのサッカーを、我々は基本、継続していきたい。それに対して、修正すべきところは修正していく。こういうことができるのは、やはり堀さんだと思うんです」(17年7月30日、監督交代についての記者会見)

 成績が危ないのを何とかしろ、前任者のサッカーを基本的に継続しろ、という2つのオーダーは、シーズン途中からの後任監督にとってやりにくい部分があったかもしれない。今にして思えば、だが。当時は僕もそれができればベストだと思っていた。

 

 大槻暫定監督、オリヴェイラ監督、そして大槻現監督になると、クラブも「継続」ということを強調していない。両監督とも「選手がやりやすい、特長を生かせるやり方をしたい」と語り、目の前の試合に勝つことを優先させた。そして昨季は、ACLで準優勝という位置まで上がりながら、Jリーグではようやく残留という苦しみを味わった。

 17年のACL優勝、18年の天皇杯優勝、19年のACL準優勝という成績を収めながら、リーグ戦での成績の悪さが監督交代につながり、監督交代がまた一から出直しにつながるという悪循環で、チームとしての積み上げは、ほとんどなかったのではないか。この数シーズンは何だったのか、と言いたくもなるが、いま考えると必要な期間だったのかな、と思う。チームの「成熟度」がアップしたかと言えば、それほど感じられないが、「機が熟した」のではないかと思うのだ。

 

 クラブが初めて「監督によって変わるのではなく浦和レッズとして継続していく戦術の基本的コンセプトが必要だ」と打ち出したこともそう。常に優勝を争えるチームを作るというクラブ史上二度目の「3年計画」を立ち上げたこともそう。そして4-4-2にシステムを変更し、パスをつなぐことよりも得点を狙うことが最優先だというサッカーを選手全員が展開し始めたこともそう。

 喜びと苦しさが入り交じった、試行錯誤とも言える2年半を経たことで、ここにたどり着いた。後にクラブ史を書くならば、そういう見方ができると思う。

 

 たどり着いた、と言っても終点ではない。ようやく「これが新しいレッズのサッカーか」という試合が見られたが、まだ公式戦2試合だし、強豪チームとはまだ対戦していない。ひと安心さえ、するのは早い。だが出発点にたどり着いたことは誰もが感じているだろう。いかにここから上下の振れ幅を少なくしながら右肩上がりにしていくかが今季の課題だ。

 

 2年半かけなければできなかったのかどうか。それは検証できないが、2年半かかったという事実は歴然としてある。

だから冒頭の問いには、「去年からは難しかっただろう」という答えしか出てこない。

 

EXTRA

 広島はミシャ監督退任の後、Jリーグ2連覇したじゃないか。どうしてレッズはできなかったのか、と言われたら、広島の変化をつぶさにみていたわけではない僕には答えが見つからない。今度、広島に詳しい人に聞いてみたい。

 

(文:清尾 淳)

 

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