コラム

parts

parts

parts

parts

parts

back

parts
「サポーターがサポーターなら、クラブも・・・」 清尾 淳
 


つい先日のこと、あるアウェーの試合の後、女性のレッズサポーターからこんな電話がかかってきた。

「この間の試合で、私たちのちょっと前の席に、ホーム(つまり相手)のサポーターが何人かいたんです。その人たちは試合中から、私たちの方を見て、いろいろと挑発していたんですが、結局Vゴールでレッズが負けたときには、私たちの方を見て、どうだ見たか、というようなガッツポーズをしました。私たちの周りには男性のレッズサポーターもたくさんいたので、ひょっとすると喧嘩になっていたかもしれません・・・」。

 よくある話、と片づけるのは簡単だ。この場合は大事に至らなかったが、一歩間違えば、乱闘騒ぎになっていたかもしれない。「一触即発」という言葉の見本だ。もし喧嘩になった場合、誰が悪いのか。もちろん当事者に決まっている。しかし、それを防ぐことができたのに、その手段を取らなかった人。人じゃなくて、クラブに責任はないのだろうか。 たいていのスタジアムは、両方のサイドスタンド(つまりゴール裏)が自由席になっていて、一応メーンスタンドから見て左側がホーム用、右側がビジター用、となっている(京都の西京極競技場は反対)。しかし、中にはホームのサポーターでわざわざビジター側に来る人もいる。ホーム側が満員だから、あるいそちら側で応援したくないから、安い自由席だが応援ではなくゆっくり観戦したいから・・。理由はいろいろだ。かくしてホームとビジターのサポーターが混在する状況が簡単に生まれる。


レッズではビジターサポーター専用入口がある

サッカーの観戦の仕方はいろいろだ。どちらのチームにも肩入れせず。純粋にスポーツとして見る人もいる。90分間立ったまま声を出して応援し続ける人たちも少なくない。一番それぞれのチームに肩入れしている人だ。“同化”と言ってもいい。そんな人たちを敵味方混在した状態を放置しておくことが、僕には理解できん。別に喧嘩早い人が集まっているわけではないが、すぐ横や前後で自分のひいきチームをけなされたりして、気分がいいはずがない。場合によっては喧嘩になることだって、十分ありうる。そんなときに「悪いのは当事者」とだけでは片付けられない。

最初に例に挙げたサポーターたちは、試合中から係員に「きちんと席を分けてください」と要求していたらしい。ここからここまではビジター、そちら側はホーム、と決めておけば、一触即発の”蝕”の可能性が減る。しかし係員は「いまクラブの方でそういうことも検討している段階で・・」とかなんとか言い訳して、結局仕切りはしなかったらしい。 そのクラブが発行しているマッチデー・プログラムに、その件に関してのクラブの見解が載っていた。それによるとそのスタジアムでは、ビジターサポーターの自由席はほぼ指定されているが、ホームサポーターはどこでも自由、とあった。あとは「観客の良識と慣例にしたがって」ください、とあった。慣例?年に1回しかいかないビジターのサポーターに、そのスタジアムの慣例が分かるだろうか?もちろん初めてのサポーターもいっぱいいるのに。自分たちの常識を勝手に日本の常識にしてはいけない。

あれ、VOL.4で書いたようなフレーズ(わからない人はESSEI0.4「非常識がいつしか常識に?」を見てね)。そう、あそこでとりあげたのは、このチームのサポーターだ。どうもあそこは、クラブもサポーターも自分のところが中心と考えているようだ。実際に喧嘩が起こることは少ないかもしれない。しかし主催するクラブは、その可能性を少しでも減らすようにしなければいけない。善良な熱いサポーター同士が、はずみで衝突してしまうことだって考えられる。それに敵味方のサポーターが入り乱れては、気持ち良く応援できないだろう。指定席なら仕方ないが、自由席は双方のサポーターの区切りをはっきりすることが、クラブの”常識”になってはくれないものか。