コラム

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「 さあスタート、大宮アルディージャ」
清尾 淳
 


 このところ、大宮アルディージャの清雲栄純ゼネラルマネージャー(GM)とお会いする機会が多い。2月6日、7日、13日と8日間で3回も会合で顔を合わせ、そのうち2回は酒の席でもあったので、親しくお話しすることができた。

 6日に初めてお会いしたとき、アルディージャのGMを引き受けることにした理由として「アルディージャが地域に密着したクラブ作りをしていこうという理念を持っていることに感激した」とあいさつの中で言われた。

 そのとき正直言って「?」と思った。「当たり前じゃん、そんなの」。清雲さん、ごめんなさい。でもJリーグの理念にそのことはうたわれているはずで、NTT関東がJリーグ入りするにあたって当然、活動の柱にしなくてはいけないことである。「何をいまさら」と僕が思っても不思議はないでしょう。

 13日にまたその話を聞いたとき、ふと思った。「ああ、清雲さんはジェフの人だった」と。清雲さんはオフト時代の日本代表コーチを終えて、ジェフ市原の監督をやり、先日までU-19日本代表の仕事をされていた。代表コーチの前は古河電工の監督だったから、単独クラブの仕事をしたのはジェフ市原(古河電工)だけである。これは推測だけど、かつてのチームには「地域に密着」なんて方針がなかったのではあるまいか。少なくとも清雲さんのときは。だからアルディージャの話が新鮮に感じられたのではなかろうか。

 だから何だ、と言われればそれまでだが、浦和レッズに関係していると、そのへんのことがマヒしてくる。サポーターから「レッズはお高くとまっている」とか「まだまだ地域密着していない」と言われることもあるが、こういう他のクラブのようすを見れば、「レッズはやってる方だな」と感じてしまう。大宮はこれからだけど、「地域密着」という言葉が不必要なくらいに密着してほしい。言葉の遊びみたいだけど、「密着」というのはあくまで別のもの同士がくっついているようす。そうではなく地域と「融合」して、地域そのものになっていくことを目指してほしい。もちろん浦和レッズにも。


「Jリーグ誘致」の署名活動をする大宮市サッカー協会の人たち(1997年4月27日、大宮サッカー場)

 ところで13日の会合というのは、大宮市のサッカー少年団の新年会だった。僕も清雲さんもゲストとしてお招きにあずかったのだった。その席のあいさつでも述べたのだが、大宮市のサッカー協会は、アルディージャ発足の運動の先頭に立っていたと思う。そしてクラブができてからも協会を挙げてバックアップしている。これは浦和ではなっかたことだ。

 レッズが来る前の浦和市のサッカー関係者は冷やかだった。「三菱が来たいんなら来れば」という雰囲気だった。来てからも「あんな弱いチームは浦和にふさわしくない。浦和の名前をはずしてほしい」とさえ言っていたのは浦和でサッカーをやってきた人たちだった。今の浦和レッズを支えたのは、一般のサポーター、ファンだった。その盛り上がりがサッカー関係者(や浦和市)を動かした、という図式だ。

 Jリーグそのものが見えなかった当時と、6年間の事例が十分にある現在とでは状況が違うから、単純に浦和市のサッカー関係者を批判できないが、スタート時から市のサッカー協会の全面支援を受けられる大宮アルディージャは幸せだ。もちろん、これから一般の市民に認識されていくことが重要なのだが、浦和のスタート時と違っていることは僕が証人だ。

 そう言えば、もう一つレッズとアルディージャの大きな違いを発見した。ゼネラルマネージャーの愛想の良さだ。

(1999.2.15)