コラム

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イメージの話
清尾 淳 


 某週刊誌(名前を出さないのは、宣伝したくないから)に掲載された、小野伸二選手のいわゆる「暴行事件」について、みなさんはどう思っただろうか。

 あの記事が発表されて以来、しばらくは会う人ごとに「どうなんですか?」と聞かれた。そしてみなさん、ほとんど共通して感じているようだったのが「あの小野伸二が、そんなことするはずがない」というもの。

 僕もそう思った。ただ、小野選手が好きだからというふうに、親バカ的に信じている訳ではない。日頃の彼の言動をよく知っている者として判断している。彼は自分が背負っている物の重さを十分自覚しているし、完全に自分を律することのできる人だ。その彼がそんなつまらないことをする訳がない。そして多くのファンは、僕ほど直接的ではないが、いろいろな媒体を通じて自分の「小野像」を作り上げている。

 おそらくレッズのファンで、あの週刊誌の記事を信じた人は1人もいないだろう、と言って間違いないと思う。それほど彼のイメージは「好青年」で定着している。好感度No1サッカー選手と言ってもいいくらいだ。

 つくづくイメージというのは怖いと思った。「怖い」というのは、小野選手のそのイメージが間違っているという意味ではなく、多くの人がほぼ無条件で小野選手を信じていることがすごいと思うのだ。

 同じころ、レッズサポーターの何人かは、万博でグラウンドに飛び降りて、すでに定着しつつあるイメージを強めるのに一役買ったのだった。「レッズサポーター=飛び降り=ルール破り常習者」というイメージは、簡単にはぬぐえない。たとえ、あの飛び降りがネガティブな意味ではないとしても、また「上塗り」してしまった。

(1999年10月12日)