さいたまと
ワールドカップ





COLUMN●コラム


#055
  3人のカメラマン


 3人のカメラマンがいる。仮にAさん、Bさん、Cさんとしよう。

 サッカーの試合を撮るときの話だが、Aさんは、あまりシャッターを切らない。「どうせ使うのはせいぜい数枚。使いそうなところだけ撮ればいい」と言う。1試合にフィルム4本ぐらいか。

 Bさんは、1試合に10本ぐらい撮る。そして現像の結果、納得のいくものだけ残して捨ててしまう。手元には素晴らしい写真だけを残す。

 もう1人のCさんは、その中間ぐらいの本数を撮る。連続シャッターはあまり切らない。写真は、どれもピント、構図ともまずまずだ。

 Aさんの写真には決定的な場面が多い。シュート、競り合い、GKのセーブ。それぞれに「何分に誰がどうしたところ」という説明が付けられる。コマ数は少ないが、その試合の勘どころをきちんと押さえている。

 Bさんの写真は、まず表情が素晴らしい。ピントや構図も良いものが厳選されている。シュートシーンが必ずしも写真として良いとは限らないので、ゴール場面は少なかったりする。

 Cさんの写真は、とにかくチームの全員が写っている。しかもほとんど捨てるところがない。1人について何カットもあるが、同じようなカットはあまりない。

 それぞれ撮り方は違うが、みんなプロのカメラマンだ。種明かしをすると、Aさんは新聞社のカメラマン。Bさんは著名なフリーカメラマン。Cさんは試合の後で選手に写真を販売する会社のカメラマンだ。断っておくが、みんな実在の人物だ。

 Aさんは新聞報道の写真を撮らなければならない。Bさんはポスターや写真集用の写真を要求される。Cさんは、経費を無駄にすることなく選手(の親)に喜ばれる写真を撮る。みんな、撮り方は違うし、出来上がった写真は違うのだけど自分の目的に忠実な仕事をしている。プロフェッショナルだ。

 そこへいくと私なんか、決定的場面も狙うし、選手のアップも撮りたいし、でも大事な展開になると、試合に見入ってしまうし…。結局みんな中途半端で終わってしまう。まったく「浦和レッズ・オフィシャル・カメラマン」の紫のビブスが泣くというものだ。正直言って気が引ける。

 僕はライターの記事、カメラマンの写真を編集して1冊のMDPにするのが仕事だから、職業カメラマンではないのだけれど、カメラを抱えてピッチの横にいるときは、プロカメラマンでなくてはならないと思っている。永井のゴールが決まったからといってガッツポーズなんかしていてはいけないのだ。  いや自分の下手の言い訳なんかしているつもりじゃないんだ。本当の本題は次回。

(2000年4月3日)