さいたまと
ワールドカップ





COLUMN●コラム


#056
  「プロ」の概念が変わった


 前回、プロカメラマンといっても、いろいろな撮り方がある、ということを書いた。このことはずっと前から感じていたことだけど、このコラムに書こうと思ったのは、MDP155号の「TODAY’S SPECIAL」で土田尚史選手と話をしたからだ。

 彼は言う。「チームが苦しいときに自分のことだけ考えているやつはプロじゃない」と。

 これは、新鮮な響きだった。僕はこれまでプロというと、とにかく自分のことが第一であって、自分が出ていないときは「負けろ、ミスしろ」と願ってしまっても仕方がない、と思っていた。実際に、そう思ってしまう、と打ち明けてくれた選手もいた。しかし、それはプロではない、というのだから、これまでのイメージを覆すものだった。

 ケガをしているならともかく、ケガでなくて出られないときに、チームとともに戦う、というのは精神的なものにほかならない。それは、何だかアマチュア的な香りがしたのだけど、ちょっと浅はかな考えだったかもしれない。

 プロとは、金をもらうということだけでなく、その道を究めた人、という面がある。スポーツの本来の要素である「勝負」ということを究めれば、良いプレーを見せるということだけでなくて、自分が出ていなくてもチームが勝つことに全力を尽くすというのも、選手に与えられた仕事なのだ。もちろん自分が出て、良いプレーをして、試合に勝つ、というのが最高なのだけど、それができない状況でも、できる範囲でチームに貢献しなさい、というのは当たり前のことなのかもしれない。

 昨年の最後、土田がチームについて回って、練習の先頭に立っていたこと、ウォーミングアップのときにコーチでもないのに、GKの相手をしていたこと。いかにも土田らしかったけど、浪花節的だったと思った人もいたかもしれない。でも、それはプロ選手として当然のことだったのだ。少なくとも土田はそう思っていたし、今では僕も同感だ。

 カメラマンの話とどうつながるんだ、と言われると困るが。

(2000年4月6日)