さいたまと
ワールドカップ





COLUMN●コラム


#108
ワールドカップで楽しむ


 1年に1度くらい回ってくる(七夕ですな)、埼玉新聞社の朝礼当番。27日の朝にした話を披露しよう。ネタに困った、という見方もできるが。
 日本で、埼玉でワールドカップをやる意義については、それこそ誘致活動のころから盛んに言われてきた。
 まず「世界の一流選手のプレーを間近で見たい」というもの。理屈としては一番通りやすい。でも何人が見られるの?という問題は残っているし、これだけテレビ放送が充実している今、生で見るということは、雰囲気を味わうこと以外に価値がなくなってきた気がする。そして本当に一流選手のプレーを見るのはテレビの方がはるかに見やすくなってきているのだ。
 経済効果。これは、いろいろなイベントのたびに必ず言われることばだ。そして、ほとんど場合、裏切られてきたはず。博覧会モノなんて、その最たるものだ。ましてやワールドカップはFIFAとその代理店以外に、収益を得られないのではないかと思われるくらいだ。もちろん経済の活性化とは収益だけが問題なのではない。たとえ収入と支出が同じであっても、その規模が大きくなってお金が飛び交えば、活気は良くなる。しかしワールドカップの期間中だけ忙しくて、それに対応するのに精いっぱいで、終わったらまた元の状況、では反動で不景気になってしまいそうな気がする。1年、2年、じわっと良くなるのではなくて、2~3カ月、ドワッと良くなるだけでは、かえっ疲弊を招くのではないかと心配なのだ。
 98年のフランス大会に多くの日本人が出かけ、そして帰ってきてから流行した言葉が「ホスピタリティが大事」。無知な僕は一瞬、「なるほど。医療体制は大事じゃわい」と思った。「もてなし」なら「もてなし」って言えばいいじゃん。「アカウンタビリティー」(報告責任)とか「ベニュー」(開催地)とか、これだけでも一般の人をワールドカップから遠ざけていると思った。まあ、とにかく海外のチームとサポーターを「おもてなし」しなくてはならない、と盛んに言われた。
 僕は最近思うのだが、2002年ワールドカップが終わって、僕の周りがプラスになることだけ考えたいな、と。自分の家族、近所、市民や商店街。そして僕にとって一番大事な浦和レッズのサポーター。ワールドカップが終わって、この人たちのプラスにならなければ、2002年は成功とは思わないことにする。
 ビッグイベントが終わった後、開催地に何が残るかを、中央の人は恐らく考えてく れまい。考える余裕はもはやあるまい。ひょっとして地元の開催者(JAWOC埼玉支部)も、大会の成功(観客の輸送や治安、もてなしイベントも含めて)のみ頭にあって、地元の利益や、その後のサッカーファンのことなて考えていないかもしれない。日本では全国的、世界的イベントは地元の犠牲に上に立って「成功」するもの、という風潮があるようだから、僕はバランスを取るために、今から地元の利益追求、というものを常に目標に掲げておくことにする。
 地元の利益と言っても、何も金儲けのことではない。人との交流、街の活性化、新しい自分の発掘、ネットワークの広がり…。そういうものでいい。僕は、やはりサポーター仲間と一緒に何かをやりたい。レッズサポーターと海外サポーターのサッカー交流大会でもいいし、サポーターズクラブ対抗外国人のお友達作り大会なんかも面白いかも(3人1組になって、午前10時から午後3時までの間に何人の外国人と友達になるかを競う。証拠として、住所、氏名と日本の感想をノートに書いてもらい、一緒にポラロイド写真を撮る。そして夜6時からコルソでパーティーをやるので、来てもらう)。(旧)浦和市内サッカー名所ウォークラリーもいいか。どうせ埼玉スタジアムでやる試合を見られる人は多くないし、試合自体も1ヵ月間に4試合しかないのだ。試合の合間にもサポーターの仲間たちと大いにワールドカップを楽しみたいと思う。

(2001年8月27日)