さいたまと
ワールドカップ





COLUMN●コラム


#113
好きなもの+後日談

 僕は1957年、石川県にある海辺の田舎町に生まれた。父親が新しいもの好きで早くにテレビを買ったので、かなり小さいころからプロ野球中継を見ていた。だから僕にとって野球とは、強い巨人が弱いほかのチームの挑戦を毎日受けて、破っていくというヒーローアニメと同じようなものだった。そのころの正しい子どものあり方として、大鵬も玉子焼きもまずまず好きだった。好きだといっても、本屋も映画館も近くにない田舎町では、ほかの情報がほとんど入ってこないのだから、強いものの露出度がダントツに多くなるから、自然とそうなっていくだけだ。
 食べ物は玉子焼きだけでなく、ざるそばもラーメンもタコ焼きも好きだったし、相撲も大鵬から輪島(石川県出身!)、花田へとヒーローが代わっていったが、野球では小学3年生から高校2年生までの9年間、毎年巨人が優勝していたのだから、「野球は巨人、首相は佐藤栄作」だと思っていた。
 あって当然、勝って当たり前、というものに、昔から僕はあまり鈍感である。だから長島茂雄も王貞治も、すごい選手、というイメージだけで、それほど好きではなかった。かと言ってやはりほかの野球チームで好きになれるところはなかった。なにせ情報がないから。つまり僕は高校を出るまでプロ野球に深い興味を抱かなかった。フォークソングとガールフレンド探しに明け暮れていた。


 高校を出て1年京都で浪人し、大学に入って東京で1人暮らしを始めた。それまで情報がないゆえに保守的だった僕は、その反動で強いものに反発するようになっていた。巨人は第1次長島政権が失敗し、藤田監督になってまた常勝軍団になっていたから、当然僕の「アンチ」の対象だった。
 今でも強いものをとりあえず斜めに見るクセはなかなか抜けないが、大学を卒業して社会人になってからは、意味もなく「反体制」を気取るのはやめようと思った。しかし巨人は別である。なにしろ僕が入った会社は埼玉新聞社。巨人の親会社、読売新聞とはライバルである。なんで巨人ファンになれようか。
 「ライバル?何か考え違いしてないか。それって埼玉SCが磐田や鹿島をライバルと言うようなもの。いやいや、それならまだ天皇杯で当たる可能性があるな。浦和レッズがレアル・マドリッドやマンチェスター・ユナイテッドをライバルというようなものだな」
 いいじゃないか。レベルもラベルもはるかに違うが、同じ業界にいることは間違いないんだから。僕は、レッズサポーターが試合のときにアヤックスやマンUのグッズを身につけてくるのを「…」という気持ちで見ているのだが、埼玉新聞社の社員で巨人が好きだというヤツも信じられないのである。お前らには愛社精神も反骨精神もないのかあ!


 あれは92年の秋だったと思う。出社早々、会社の友人が神妙な顔をして僕のところに来た。その友人は、かなりの阪神ファン、アンチ巨人として知られており、いわば野球に関しては僕の仲間だった。その彼がいきなり頭を下げた。
 「ごめん、清尾さん。俺、長島が監督になっちゃったら巨人ファンに戻らない訳にはいかないよ。本当にごめん」
 いや、ごめんと言われても…。つまり、その友人は昔から巨人ファン、いや長島ファンだったが、長島が第一次の監督を解任させられたのを見て、そんな球団は許せない、とアンチ巨人になったという訳だ。
 なるほど。長島茂雄という人の魅力のすごさを僕はそのとき初めて認識した。だからと言って僕も巨人ファンになった訳ではなく、最近では、石川県出身の松井がホームランを打って、巨人は負ける。これがベストだった。あまり下にいるとつまらないから、優勝争いの中にはいてほしかったが。
 今回の監督辞任で、あらためて長島茂雄という人の偉大さを実感した。これだけ多くのファンを引きつける魅力を持った人が抜けて、プロ野球界は大丈夫なのか、と思ってしまう。サッカー界で長島さんに匹敵する選手は…釜本さん?(バカ言うなよ!)、三浦知良?(監督になってみないとなあ)、福田正博?(レッズサポーターにとっては近いものがあるけどね)、中山雅史?(キャラが軽すぎないか)、小野伸二?(可能性はあるけど、いたチームが弱すぎたね)…。いないなあ。


 さて、僕はいま少し困っている。何がって、原辰徳氏が巨人の新監督に決まったじゃないか。僕は原クンが少し好きだった。クン?そう彼は一つ年下なのだ。ちなみに原博実クンと同じ1958年生まれだ。高校時代、神奈川県という全国最難関の予選を突破して4回も甲子園に出てきたとき、すごいと思った。それでも一度も優勝できなかったのがかわいそうで、気を引かれた。作新学院の江川卓が騒がれながら優勝できなかったときは何とも思わなかったが。
 巨人の現役を引退して解説者として日本テレビに行かずにNHKに行ったことも好感が持てた。その時の経緯をNHKの友人から聞いて、また好きになった。「いい人」という表現がぴったりくる。原辰徳クンのような「いい人」にプロ野球の監督という厳しい職業が勤まるのか心配でたまらない。
 もっと心配なのは、来年から原辰徳クンを応援している自分がいるのではないか、ということなのだ。原監督と松井が活躍して、巨人が負けてくれればベストなのだが…。

(2001年10月1日)


〈後日談〉

 10月3日、件の長島ファンの同僚に会った(今は職場が離れているので、ふだんは顔を合わさない)。30日の東京ドーム最終戦には、知り合いからチケットを融通してもらって行ったらしい。もちろん泣いた。
 「なんだかねえ、親父が死んで出棺のときってこういう気持ちになるのかなあ、と思ったね」
 わかる。出棺、すなわち火葬になれば、体もなくなってしまうから、その人が居た証(あかし)というのは写真や記憶にしかない。選手が現役引退するときは、コーチや監督で戻ってくる可能性もあるが、次にユニフォームを着るのはOB戦ぐらいだろう。今回の長島監督引退は、「もう2度と会えないんだ」という気持ちにさせるという点で、父親の葬儀の出棺と似ていると彼が思ったのは、十分うなずける。ちなみに彼の父君は健在である。
 最後に彼はこう言った。
 「今は少し落ちついてきたから、まあ生きてさえいればいいや、と思えるようになったよ」
 これ父君のことではなく、長島氏のことだから誤解のないように。
 そうそう、彼は来年からジャイアンツに何の未練もないそうだ。うちの息子に言わせると「そんなのはジャイアンツファンじゃない!」
 そういう人、40歳以上には多いんだろうな。

(2001年10月7日)