さいたまと
ワールドカップ





COLUMN●コラム


#121
失恋する前に

 レッズと恋愛を重ねてとらえる人が多い。
 なんで、こんなに弱いチームを応援するんだろう。
 好きになったんだから仕方がない、と。


 僕にも人並みに恋愛経験がある。人並みがどれくらいかよく知らないけれど、たぶんこれくらいだろう。恋愛経験がいくつもあれば、同じくらいの数だけ失恋経験もある。みんな成就していたら今ごろ身動きが取れない。
 世間では「フられた」ことを失恋というのだろうけど、いわゆる「フった」ときにも失恋という言葉が当てはまることはある。別れることを切り出したのは自分だけど、自分も相手と同じようにつらい場合。これも「恋」を「失う」という意味では失恋だろう。


 相手を好きになったときは、この気持ちが一生続くと思っている。世間では相手の短所と言うべきところだって自分から見れば愛らしいウイークポイントに見えたりする。恋は盲目、とはよく言ったものだ。
 つらいのは、ほかに好きな異性ができた訳でもなければ、相手が自分にひどいことをした訳でもないのに、その相手に対する気持ちがだんだん冷めていくこと。そしてそれを自覚していく過程の自分の気持ちだ。
 嫌いになった訳じゃないけど、以前と同じようには相手を愛せない。愛せないから行動にも移せない。1年前には、何を置いても相手に尽くしたけど、今は仕事もあるし、お金もないし、体調も悪いし…。相手を最優先には考えられなくなってしまう。そのうち、本当に忙しくて駄目なのか、忙しさを口実にしているのかわからなくなってしまう。


 このままレッズのことに当てはまる、という人が今年は増えそうな気がする。思えば毎年、毎年、この時期は心がおだやかじゃなかった。
 2000年。当たり前だろ。二浪のつらさは浪人生活を知った者でないとわからない。何が何でもJ1に上がりたかった。
 99年。初めて味わう降格の恐怖と戦いながら、絶対に落ちない、落とさせないと誓っていた。J1に残って来年こそは失敗しない、と思っていた。
 98年。10月21日の鹿島戦で首位を奪うチャンスを逃し、そのあと24日に柏に負けて優勝の可能性が消えた。しかし「来年は」という気持ちにあふれていた。最終節で勝てば3位というモチベーションも残っていた。
 97年。ケッペル監督に辞めてもらってやり直し、という意識が強かった。それよりワールドカップの予選で頭がいっぱいだった。
 96年。最後から3番目の11月2日に鹿島に負けて優勝の望みが消えた。最後まで優勝争いをした余韻は最終節まで残っていた。最後から3番目って、今年で言えば柏戦かよ!
 95年。田口選手の暴行事件があってサポーターも揺れていたが、福田正博の得点王争いが心の支えだった。
 94年、93年。最下位でも落ちないアマアマのシーズンだったが、どん底でも来季への期待は持っていた。今から思うとトランプをシャッフルするとき、麻雀のパイをかきまぜるときのような根拠のない期待だったのだが。


 要するに、毎年この時期には優勝という美酒こそ味わえなかったが、来季への期待というものがあったのだ。ところが今はどうだ?
 11月10日にようやくJ1残留を果たした。これが99年だったら、みんなの結束を確認し、来季と天皇杯に向けてあと2試合頑張ろうと言えただろう。スタジアムもそういうムードになっだろう。今年のレッズのどこを見ても来季に期待できる根拠はない。鈴木啓太の成長とか、山田の好調とか、エメルソンとトゥットが本来の調子を取り戻しそうだとか、アリソンが意外に頑張りそうだとか、そんなものは相手を好きでたまらないときならバラ色に見えたかもしれないが、冷静に見れば来季の根拠には到底ならない。
 そもそも監督がどうなるのか。ピッタでいくのか、替わるのか、ブラジル路線はどうなるのか、根本がわからないのに来季のチームのことなんか考えられない。


 今季は今季でクラブの言い分もあるだろう。ブラジル路線にした。高い移籍金を払ってトゥットやエメルソンを採った。勝利に向けて思い切った手を打ったではないか、と。
 ドニゼッチやアドリアーノがチームにフィットしなかったのは、予想外だった、と。監督に使われない室井や田畑や岡野がレンタル移籍した後で、その監督が辞任してしまったのも予想外のことだ、と。小野伸二が海外移籍したのは本人の強い希望で仕方なかった、と。
 今年が「数年の計画をスムーズにするために、まずはなりふり構わず優勝を」というシーズンだったことは、補強のやり方を見れば、ある程度察しがつく。土台がしっかりしていないところへ、立派な建物を建てようとしても無理だったということも。
 言い訳は聞きたくない、とは言わない。どんどん説明してほしい。どういう意図でこういう手を打って、どういう目論見の違いでこういう結果になったのか。サポーターにしても聞きたいことはいっぱいある。必要ならば「語る会」をこの時期にやったらいい。「来季のことをまだ話せる段階じゃないから」と言わずに、まずは今年のことを弁明するだけでもいい。サポーターからの奇想天外なアイデアを聞くのは面白くもあり、つらくもあるが、2001シーズンのレッズの総括ということに限定すれば、かなり実のある内容になるのではないか。サポーターの疑問にこたえるだけでもやる価値はある。
 もちろん多様なサポーターの声を全部反映してクラブの方針を決めることなど不可能だ。来季の方針は、それと並行して決めていってほしい。
 そして見直してほしいのは、どういうフロントの体制でその方針を貫いていくのか、ということだ。一生懸命に風呂に水を汲んでも、どうもなかなかいっぱいにならない、と思っていたら、手桶に穴が開いていた。なんてことになったら笑い話では済まないから。


 11月10日、埼スタを出るとき、僕は何人かのクラブスタッフに言った。「今日だけはサポーターと一緒に喜んでください。でも明日からは違いますよ」と。
 J1残留を決めてホッとしているところだろうが、レッズに時間はない。多くのサポーターの愛が失われる前に、動きを見せてほしい。

(2001年11月12日)


No120に「明日以降に続く」としたけど、やっぱりMDPのある週は無理だった。でも続きの一つはMDP190号に書いたつもり。