さいたまと
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COLUMN●コラム


#133
けじめ

 「温故知新」とは言うが、古いものを調べて新しいものの良さを知ることよりも、新しいものに出会って古いものの大切さを再認識することの方が、実際には多いのかもしれない。これは去年のMDPにも書いた。
 その古いものが、もう戻ってこないものだと特に切なくなる。


 1月18日。さいたま市のロイヤルパインズホテルでオフト監督以下、レッズの新体制発表会が行われた。オフトの第一印象(いまさら「第一」というのも変だが)をキーワードで表すと、僕は「安心感」という言葉をあてる。
 記者の質問によどみなく、わかりやすく、しかも余計なことを突っ込まれないように答えていく様子は、自分がこれまで指導者としてやってきた実績への自信と、日本のサッカーを知りつくしていることから来る余裕が感じられた。そして、あせらず計画的にレッズをゼロから強くしていくビジョンをすでにしっかり持っていることが、はっきりと伝わってきた。
 これなら大丈夫。あとはクラブのフロントとサポーター、そして僕たちがどこまで支えきれるかだ。そう思って会見場を後にし、車に乗り込んだだそのとき。


 突然、頭の中に前監督のピッタが浮かんできた。


 去年の12月29日、埼玉スタジアム。天皇杯準決勝でレッズが負けた後、トイレでクラブの運営担当のCM、佐藤仁司さんと一緒になった。こういうとき、僕たちに「残念だったね」とか「アリソンのシュートが…」などという会話は出ない。黙ってうつむき加減に並んでいると(トイレでは普通そうなるが)、佐藤さんが独り言のように言う。
 「どうでしょう。オジェックのときみたいにピッタをサポーターの前に出したほうがいいんでしょうか…」
 一瞬考えて答えた。
 「あんなに熱狂的なことにはならないでしょうけど、出てくれるならその方がいいと思いますよ。このままサヨナラじゃ、あまりにもさびしいじゃないですか」
 「そうですよね。全然何も準備してないけど、ちょっとやってみます」
 手を洗いながらの短い会話だった。


 何のことかわからない人に説明すると、96年の天皇杯準決勝でヴェルディに負けた後、この試合を最後にレッズを離れるオジェック監督、フリントコーチらがサポーターの前にあいさつに出てきて、国立競技場が大フィナーレ会場になったたことがあった。というか、あのときのサポーターはそうでもしないと帰ろうとしなかったのだ。ヴェルディのレオン監督が「どっちのチームが勝ったんだ?」といわんばかりにあきれて見ていた。


 今回、サポーターには別にそんな様子はなかった。しばらく凍りついて席を立てなかったが、そのうち粛々と帰り支度を始めていた。佐藤さんと僕の「トイレ会談」は試合が終わってだいぶ時間が経っていたから、埼スタのゴール裏は半分程度になっていた。
 ピッタはそのとき記者会見中で、それが終わってから佐藤さんが打診することになる。必ず出てきてくれるならサポーターに言っておいた方がいいが、もし断られたらサポーターにこの日2回目の肩透かしを食わせることになってしまう。でも早くしないとスタンドからはどんどん人が引いていく。
 やきもきしながら待っていると、グラウンドへのエントランスからフラビオ、アベリーノらと共にピッタが現れた。残っていたサポーターは1000人もいなかった。それでもピッタたちはスタンドの前まで出てきて笑顔で手を振り、最後のあいさつをして帰っていった。


 去年の9月。チッタの辞任をを受けて新監督に就任したピッタの第一声はホテルではなく、練習後の囲み取材で聞いた。まあシーズン途中の交代だから仕方がない。
 帰り際に僕が「自分はレッズのこういうプログラムをずっと編集している者で、あなたがグランパスの選手でいたときにもやっていた」と言うと、ニコニコしながら「じゃあプレーを覚えているか」と聞くので、「もちろん試合は見たはずだが、あなたはそんなに太っていなかったので、結びつかない」と答えた。すると彼は「頭もこんなに薄くなったしね」と、かぶっていた帽子を脱いで言う。僕がリアクションに困って「それは私もです」と答えると、笑いながら手を伸ばしてきた。同じだね、と。
 監督としての安心感というよりも、ずいぶん気さくなオッサンだな(おっと、僕のほうが少し年上だった)という親近感が湧いた。練習中や囲みのときは、割と難しい顔をしているので、取材がやりにくいのかなと少し心配だったが、それは一気に消えた。


 指揮を執りはじめてからのピッタは、サポーターから監督としての扱いを受けてこなかった。最初の5連敗。試合前の紹介でピッタの名前がアナウンスされるとブーイングが飛飛んだ。その後の2引き分け、清水戦の勝利、J1残留決定などを経て、ブーイングは消えたが拍手もなかった。
 「監督 ピッタ」というアナウンスの後に拍手が大きく聞こえたのは、僕の印象では天皇杯準々決勝の仙台スタジアム、ジェフ戦が初めてだった。
 ピッタ本人は、そんなことを気にする様子もなく、ずっと変わらないムードでチームを指導してきた。取材に対しても、偉ぶらず、選手を批判せず、サポーターに感謝しつつ、どこか自信ありげに答えていた。就任から4ヵ月。それはシーズン限りでの解任が決まった後も少しも変わらず続いていた。


 思えば、埼スタでの短い別れが、ピッタとサポーターが直接触れ合った最初で最後の機会だったかもしれない。
 けじめ。
 監督として請われて来た訳ではなく、前監督が辞めたときにたまたまチームにいたから、みたいな成り行きで就任し、立派な記者会見も、十分な準備期間も、選手補強もなかった。すでにスタートして、先頭からかなり離されているチームを我慢しながら引き上げ、周回遅れになるのを免れたと思ったら、次のレースでは先頭集団に入ってきた。戸惑っていたサポーターがよううやく監督として認めたころにチームを去っていく男。もちろん、それなりの報酬はあっただろうし、終盤の成績で今後日本のチームの指導者として招かれる可能性も出てきただろう。しかしお金や仕事の確保とは別の、プロの指導者としてファンと気持ちを通わせる満足感はどこまであっただろうか。
 そんなピッタへの「けじめ」が、何とかつけられた数分間だった気がする。僕の賛同が触媒程度にはなったのかもしれないが、僕とトイレで会わなくても、佐藤さんはピッタをサポーターの前に出しただろう。彼も気持ちの「けじめ」を大事にする人だから。


 きのう1月20日。レッズフェスタで新生レッズがサポーターの前に姿を現し、いよいよ本格的なスタートとなる。そんな日に、なんと空気を読めないヤツだろう、僕は。でも、これでようやく2002シーズンのレッズに全力投球することができる。
 さようなら、ピッタ。エジバウド・オリベイラ・シャーベス。ありがとう。


(2002年1月21日)


 追記。
 2月16日発行のMDP増刊号に載せようかとも思ったが、それこそ新しいスタートに相応しくないから、密かにここで紹介しておく。12月29日、埼玉スタジアムで最後のあいさつをするピッタとサポーターの写真。
 レッズフェスタの会場でも聞かれたが、MDP増刊号はチームの最新情報を載せて2月16日から無料配付開始。レッドボルテージ店頭あるいは郵送で。