さいたまと
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COLUMN●コラム


#136
嫁入り道具

 2月9日(土)、サポーターの新年会にお呼ばれした(またかよ)。一つのグループというよりは、いつも駒場の同じエリアで応援している顔ぶれ、という集まりだった。老若男女、というと最年長の人に悪いから「壮」若男女、約30人と楽しく過ごさせていただいた。
 その中で、ある女性サポーターから「清尾さん、今年結婚するかもしれません」と言われた。もちろん「そりゃおめでとう」と祝福したのだけれど、帰り道に酔っぱらった頭でいろいろ考えてしまった。
 そのサポーターは初めMDPへの投稿で知り合った。名前を見ただけだから、知り合った、というのは変か。何年だったかは記憶にないが、投稿に(20)という年齢が書かれていたような気がするので、95年かもしれない。今年27歳になるというから。それからしばらくしてスタジアムで顔を合わせた。ホームゲームにはほとんど来ているから、度々顔を見ながら7年間が過ぎたということになる。


 こんな仕事をしていると「レッズの10年」が長かったのか短かったのか、自分ではよくわからない。しかし「レッズサポーターの10年」の中には、間違いなく人生の転機を迎えた人がいっぱいいるに違いない。進学、就職、結婚、出産などのお祝い事。あるいは不幸な出来事。仕事関係の転勤、転居…。10年間、生活に大きな変化がほとんどなかったという人の方が少ないだろう。僕…、僕個人の生活では平均より変化が少ない方だろうな。


 レッズの10年の中での大きな変化は何だったのだろうか。
 最大の不幸はもちろんJ2降格だろう。しかしJリーグの中には横浜フリューゲルスのようにチームが実質的に消滅してしまったチームもあるし、J2に落ちたままのチームもある。レッズが日本で最も不幸なチームだった訳ではない。不幸を感じたサポーターの数を「犠牲者の数」と置き換えれば、「Jリーグ最大の惨事」と言えるかもしれないが。
 最大の幸福は何だったろう。成績で言えばリーグでステージ3位が2回。天皇杯ベスト4が3回。これも3位と同じ。ナビスコはまだベスト4すらない。気持ちの問題で言えばJ1復帰の瞬間は手放しでうれしかったから、これが一番大きな喜びだったのだろうか。なんとまあ。FC東京やベガルタ仙台が苦節何年で昇格したのとは訳が違うというのに。


 10年の中で、レッズがサポーターの人生に与えてきた影響って何なんだろう。いや、与えて来なかったというのではないのだ。そうでなければ、ここまで熱く応援する人間が何千、何万といるはずがない。
 レッズを応援する中で、出会いや別れ、喜びや悲しみを感じてきたサポーターたちが、「レッズを知ってからレッズ漬けの人生だけど後悔はしてません」と言う。僕自身もそうだから、その言葉に何の不思議も感じないのだけど、ただ10年の中で、1回でもタイトル獲得があれば、ほとんどのサポーターが(それをサポーターとして経験していれば)、その瞬間を「人生最大の喜び」としただろうと思うと、極めて悔しい。


 冒頭にあげた女性サポーターは、結婚したらおそらく遠くで暮らすことになるという。もう、あまり会えなくなるのは寂しいが、心から祝福したい。しかし、しかし…。
 嫁入り道具に「優勝」を持たせたかった。

(2002年2月12日)