●INDEX

●バックナンバー
●ご意見・ご感想
COLUMN●コラム


#166

 みなさん、望月三起也さん知ってますか?
 若めの人は知らないだろうけど、サッカーマガジン読んでる人は「図々SEE」というマンガとコラムの合体みたいなページ持ってる人、と言えば思い出すか?

 ワタシャ好きですねえ。あのテンポのいい話し言葉と「三起也ナイズ」された選手の顔。ローマ字の表記ジャマなときありますよ。サッカーファンが書くトップ選手の顔、サッカーファンがわからなくてどうする。これ誰よ?と考えるのも楽しみの一つのはず。
 それと怖いもの知らずのコラム。なまじのジャーナリストじゃ思ってても自分のショーライ考えて言えないようなことも平気で言う。別にふざけた意見じゃない。サッカーファンが願ってること代わって言ってるようなとこもある。ほらよく言うじゃないですか。
 金のある奴ぁ金を出せ。金のない奴ぁ知恵を出せ。金も知恵もない奴ぁ汗を出せって。望月さん、たぶん金もあるだろうし知恵もある。それと知識がある。この知識ってやつなんですねえ、僕にないのは。歴史と言ってもいい。日本サッカーの歴史、本で読むのはできるけど、現場にいた人にはかなわない。本で得た知識はすぐに忘れるけど、現場で感じた歴史は一生忘れない。これですよ、これ。望月さんのコラム読んでると、そこにいなかった自分が「歴史」感じてしまう。誰ですか、ジーサンのヨマイゴトなんて言ってるのは!
 ああ疲れた…。似てました?望月センセー、いや先生のコラムに。

 先日、望月三起也先生とお話しする機会があった。実は僕は子どものころから望月三起也の大ファンだった。好きな漫画家はほかにもいるが、それはその「漫画」が好きだったのに対し、望月三起也という漫画家も好きだったような気がする。望月さんのマンガってストーリーが長いものが多いのだけど、よく話のツジツマが合わなかったりする。それが作者個人の匂いがするようで、望月三起也という人に好感を持ったのかもしれない。まあ、それはともかく。

 あのコラムと同じテンポで話される(可能の助動詞と受け身の助動詞の併用)ので、僕はほとんど相槌マンだったが、その中で一番「へえーっ」と思ったのが、NHKの山本浩アナ(本当は解説委員)のことだ。
 かいつまんでいうと、山本さんはサッカーの中継をしているときに、じっと黙ってしまうことがあるそうだ。別に言葉に詰まるとか、感動で絶句してしまう訳ではない。
 「この場面は、みんなが息を飲むところだ」と思ったら、静かにしているのだという。そこでの実況は、お茶の間のファンにとって邪魔なだけらしい。ファンが十分ムードを味わったころにしゃべりを再開する。その「間」が大事なのだ。
 一瞬ではない、何秒かの空白。テレビのスポーツ中継では考えにくい長さらしい。若いアナウンサーなら、しゃべっていないと不安に感じてしまうだろう。
 話し手における「間」。ビジュアル的にいうと「余白」か。いずれも経験を積んでいないと生み出せないものだ。「手抜き」とか「衰え」とは質的に全然違うのだから。
 僕の世界でいうと、「行間の意」とか「読後の余韻」ということになるのだろうか。言いたいことが100あるとしたら文字にするのは80、90くらいにとどめる。あとの10、20は読者が自分で考え、判断して100にすればいい。もちろんただ浅く書けばいいというものではなく、十分面白みを持たせて読み手が考えるお膳立てをしなければならないが。うまい書き手になると70ぐらいでやめて、30を残しておく、なんてことができるのかもしれない。
 行間の意や余韻を汲み取って100に達した読者は、初めから筆者が100まで書いたのを読むより共感、満足感が強くなるはずだ。
 間を取って十分静寂を味合わせるとしゃべりが生きてくる。余白があるから描かれた部分の印象が強くなる。そういうものなのだろう。ただ、それができるようになるまでには多くの経験を積まなければならない。センスもいる。

 さて起承転結の「承」は終わった。ここからどっちへ話を続けるか、二通りあるのだけど…。
 今はこっちかな。J1リーグ200試合出場を達成した福田正博。
 最近僕のところに聞こえてくるのは(ほとんど文字だけど)「走れなくなった」「反応が鈍くなった」というものが多い。本当にそうなのか?これ以上は「言外の意」。

(2002年8月4日)

ロスタイム
 テレビ埼玉「GGR」さんありがとう。おかげで最近自分が太っていることが実感できました。8月中、頑張ってやせます。9月になったら、また出してください。比べてみたいので。