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COLUMN●コラム


#195
ベテランのほほ笑み

 「日本では『ベテラン』というと、何か『年寄り』みたいな意味に取られるんだよね。そうじゃなくて、『ベテラン』というのは『経験がある』ということなんだ」。


 いつだったか、福田正博がそう語ったことがある。僕は、日本で「ベテラン」という言葉をそんなネガティブな意味だけで使っているとは思わないが、本人はそう感じるのだろう。
 僕は「ベテラン」という言葉は福田の言うとおり「経験豊富な」とか「熟達した」という意味でしか考えない。そして、「経験を積む」というのは「年齢を重ねる」ということを必然的に併せ持つ。「年寄り」は言い過ぎだが、「ベテラン」という言葉には、ほぼ必然的に年齢的なものを含むのだ。
 ただし「馬齢を重ねる」という言い方がある。たいてい自分をへりくだって言うときに使うが、そのままの意味は「無駄に年を取る」ことだ。10年たてば誰でも10歳年を取るが、誰でも同じ10年分の経験を積める訳ではない。どういう生き方をしてきたかで経験の積み方が違う。


 Jリーガーにおいては、「馬齢を重ねて」来たか「経験を積んで」来たかの違いははっきりしている。「馬齢を重ねて」来たような選手が30歳を過ぎてJ1の現役レギュラーで居られるほど甘くはない。ましてや35歳を過ぎてJ1の現役レギュラーでいる選手は、それだけで存在価値が十分ある。確かに体力、筋力は10年前に比べて劣る。しかし身に付けた経験は、それを上回る。
 体力が衰えた分を経験でカバーすると言うと、誤解を招きそうだ。体力そのものは経験で補えない。そうではなくてその選手の総合的な存在価値の問題だ。
 若くて体力のある選手は何人もいる。最近は技術も優れている若手が多い。さらに小野伸二や坪井慶介のように試合度胸も初めから持っているような選手も出てきた。
 しかし経験だけは年齢を経ないと身に付かない。だから貴重なのだ。


 井原正巳は、3年前マリノスから現役選手としてではなくコーチとして残ってくれるように要請され、結局現役の道を求めてジュビロに移籍した。日産時代から10年間在籍したチームを離れてまで現役にこだわった訳だ。マリノスにはマリノスの方針があっただろうし、井原には井原の考えがあるから、それについてここで何か言う気はない。ジュビロでの後半、出場機会に恵まれず、2001年からレッズに来た。
 昨年の井原は、どこか転校生、みたいところがあった。実際に移籍してきたのだから転校生なのだが、普通はすぐにチームの一員として溶け込む。井原の場合は、溶け込んでいなかった訳ではないが、どこか客員みたいな感じがあった。それが何故か分かったのは今年になってからだ。


 昨年の井原は自分を全部出していなかった。プレーではない。チームメートとの関係というか、チーム内での自分の役割においてだ。
 「キャプテンになるのはいつでもできるが、もっと若い選手がそういう立場になっていかないと」。
 昨季の開幕前、キャプテンがまだ決まらない時期に「選手の代表」みたいな立場に置かれていた井原がそうコメントしていたことを思い出す。レッズのためには自分がキャプテンをやるよりほかの選手がやった方がいい。そういう思いがあったようだが、その時点で井原は自分を100%出していなかったのだろう。簡単に言えば、どこか遠慮があった。
 今年は違う。練習でも試合でも100%自分を出していた。チームメートに指示だけでなく檄も飛ばせば口論もした。「ベテラン井原」がそこにいた。


 敗戦の後、選手たちの口は重くなりがちだ。それがホームならまだしも、アウエーなら早くバスに乗り込んでしまいたい、と急ぐ足を止めて質問する記者も、いい気持ちではない(が、仕事だ)。
 井原は「負けたときは自分がしゃべります」と言う。DFだしキャプテンだし、自分はしゃべる義務がある、と。だからほかの選手への取材は勘弁してやってくれ、とは口にしないが、勝ったときはほかの選手に聞いてくれということだ。それを聞いた僕は、ああ井原は完全にレッズの一員なんだなあ、と思った。
 今季、2ndステージで連勝して、あるいはナビスコで勝ち上がっていくとき。そしてそれが厳しくなったとき。選手はどうすればいいか、井原は語ってくれた。優勝経験も、敗北経験もあるベテランの話は、僕自身の参考になった。
 ナビスコカップ決勝の失点は、誰も井原のミスだとは言わないし、実際にそうではない。だが一番悔やんでいるのは彼自身だろう。2年というレッズとの契約が終わるシーズン。一番近くにあったタイトルだから、絶対に取りたかったに違いない。


 11月16日、ガンバ大阪戦。紙吹雪の写真を撮るためスタンドに上がっていた僕は、キックオフの笛がなってからメーンのタッチライン側にカメラを持って座ろうとした。ふとキャノピー・ブリッジ(選手が入退場するゲート)を振り返ると、井原がいた。前日、戦力外通告を受け、試合ではベンチを外された。悔しくないはずがない。だが、井原は僕を見てほほ笑んだ。ふて腐れた笑いや苦笑ではない。
 「これがプロの世界なんですよ」と教えてくれるほほ笑みだった。


 来季の井原はどうするのか。「ほかからオファーがなければ引退するしかない」と本人は語っている。僕は、すぐでなくてもいつかレッズの指導者になってもらって、一緒に仕事をしたいと思う。もしかしてJ1のどこかのチームに移籍して、レッズと対戦することになるかもしれない。そのとき、レッズサポーターは最大の敬意を込めた大ブーイングを送るだろう。
 できれば、最後にもう一度、ピッチで赤いユニフォームを着たベテラン井原正巳を見たい。


 さて、もう一人のベテランの去就はどうなのだろうか。

(2002年11月18日)

<追伸>
 「井原正巳解雇」という表現はおかしい。契約期間内ならともかく、契約が満了して更新しない、というのは「解雇」とは違う。間違いであるだけなく、選手に失礼だ。通常、「更新した」という発表はしても「更新しない」という発表はわざわざしない。それを発表したのは、井原の去就がそれだけ大きな関心時だからでもあるが、同時に来季の構想をまだ確定していない他のチームが井原にオファーを出す可能性を広げるためでもある。つまりレッズからベテラン井原に対する敬意なのだ。それを解雇というセンセーショナルな言葉で踏みにじってほしくない。某チームの外国人選手と一緒にしないでくれ。