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COLUMN●コラム


#295
新校舎


 僕は石川県加賀市塩屋町、というところで生まれた。正確に言うと、生まれたときには石川県江沼郡塩屋村だった。僕が生まれたのを記念して近隣町村が合併し、市になったらしい。加賀市、という呼称については金沢あたりから相当反発があったと聞く。加賀、というと加賀百万石。石川県の旧国名で、誰でも県都金沢を連想するから、そんな小さな自治体にはふさわしくない、ということなのだろう。
 実際、面倒なこともある。天気予報などで、石川県は地域的に能登地方と加賀地方の二つに分かれるが、加賀地方というのは金沢より南の地域。能登地方とは北側、わかりやすく言えば能登半島の地域だ。でも僕は子どものころずっと「加賀地方」とは自分の住んでいる加賀市のことだと思っていた。今でも「出身は石川県」と言えば100人に95人が「金沢ですか?」と聞き返す。(金沢だったら金沢って言ってるよ。横浜のヤツが「神奈川です」とは言わねえだろが)と思いながら「加賀市というところです」と答えると95人に90人が「加賀百万石の加賀?」とさらに聞く。(字は加賀百万石の加賀だけど、前田家のあったのは金沢で、加賀市には分家があって…)などと説明するのはめんどくさいから、最近では初めから「石川県の西のはずれです。福井県との県境」と答えるようにしている。だから100人に5人しかいない、山代、山中、片山津温泉や大聖寺駅を知ってる人は、それだけで親しみを感じてしまう。


 ここから話は浦和のアイデンティティーにつながると思った?前は浦和というと「ディズニーランドのあるところですか?」と聞かれたのが、最近では「ああ、浦和レッズ、調子いいですねえ」と言われるようになった、という話に。
 まあ、それでもいいかな、と思うが、話は僕の小学校のことに進む。
 僕の小学校は塩屋小学校という当たり前の名前だが、卒業したのは緑ヶ丘小学校という、全国にありそうな名前の学校。転校した訳ではなく、途中で近隣の小学校と合併して名前が変わったのだ。そして合併に伴い、6年生になるとき校舎が新しくなった。改築、増築ではない。違う場所に新築の校舎ができたのだ。木造2階建てから鉄筋コンクリート2階建てに。なんだか世界が変わった気がした。
 中学校は、バスで15分くらいのところにある、錦城(きんじょう)中学校というところだった。なんと、そこでも3年生になるとき校舎が新しくなった。やはり木造から鉄筋へ。1年上の先輩からは、「お前らいいなあ。小学校も中学校も新しい校舎に入れて」と言われたが、確かにこの1学年の差は大きかった。
 高校はさらに電車で20分の小松高校。ひそかに期待したが、ここでは校舎の新築はなかった。
 ところがどっこい。大学に入ってびっくりした。東京の神田にある中央大だったのだが、入ったときから八王子への移転が決まっていた。大学2年までは神田、3年生からは八王子に通った。駅から山道を20分歩かねばならなかったが、待っているのはデラックスな(古い!)白亜の建物だった。実は僕は大学に入るとき1年浪人している。もし現役で中大に入っていたら、八王子の新校舎には通っていなかった。なぜなら移転当時の4年生だけは特別措置で旧校舎、すなわち神田で授業を受けることになったからだ。
 小、中、高、大の4つの学校で3回もピカピカの校舎に移った経験がある人はそうたくさんいないだろう。それが何のプラスになっているかと言われると…、このコラムのネタになったことぐらいかな。


 大原のサッカー場に新管理棟、すなわちレッズのクラブハウスが誕生した。さいたま市の土地にレッズが建て、市に寄贈したという形のもので、市の立場としてはあくまでサッカー場管理のための建物だが、実質はレッズのクラブハウス以外の何物でもない。
 すでに昨年末には完成していたが、サポーターやプレス関係者も含めた総合的な使用は今月から。それに先立ち、1月21日に落成式が行われた。広いロッカールームやマッサージルーム、レントゲン室を備えた診察室、ミーティングルーム、プレーヤーズラウンジなどに加え、プレスルームとサポーターズカフェなどなど。ユース、ジュニアユースのコーチの部屋もある。ただ新しいというだけでなく、いろいろな機能がアップし、さらにこれまでなかったものができた。
 日刊スポーツが「優勝基地ができた」と書いた。いい言葉だ。落成式の後の懇談会では「これで(優勝できない)言い訳ができなくなった」という会話が聞かれた。今まで、ちゃんとしたクラブハウスがないことをタイトルのない言い訳にしていたのかどうか知らないが、優勝のための基盤が大きく整備されたことは間違いない。中でもレントゲン室を備えた診察室ができたことは大きいと思う。これまで練習中に骨折の疑いのあるケガをした選手は、車で近くの医院までレントゲンを撮りに行っていた。それが大原でできる。もちろん資格を持つ医師が常駐するということだ。これが選手の心身のケアにどれほど役立つか。また、ロッカールームの広さ、風呂の広さ、プレーヤーズラウンジの存在などが積み重なって、選手のメンタル面の強化は大きく進むだろう。


 「こんな立派なクラブハウスができたので、それにふさわしい結果を出さないといけない」と何人かの選手はコメントで言うだろう。僕は「こんな立派な校舎ができたので、もっと勉強を頑張りたい」とは思わなかったが、学校へ行くのが楽しみになったことは事実だ。
 学校ではなく仕事場、発進基地が整備された選手は、外向けのコメントはともかく、実際に自分にプラスになっていくのだから、それが結果に結びつかなければウソだ。きっと福田さんあたりは「何だよ、俺のときにこんなのあったら、何度でも優勝してるよ!」というに違いない。2年半ぶりに戻ってくる岡野はびっくりするだろうし、移籍してきた選手はとりあえず練習環境の良さには満足するだろう。ギド新監督は…「新しいチームにふさわしい立派なクラブハウスをありがとう」と言いつつ、密かに(やっとまともになったか)と思うかもしれない。
 ここ数年で何度か「新たな出発点」があった。2002シーズンは仕切り直しでスタートしたし、03年は初タイトル獲得でレッズの歴史が新しい章に入った。そして2004年。体制が新しくなっただけでなく、ハード面も大きく前進した。「浦和レッズ十年史・その2」
(2012年発行予想)は、のっけから書くことが多そうだ。

(2004年1月22日)

<追伸>
 「新校舎ができて学校へ行くのが楽しくなった」と書いたが、大学の通学時は別。僕は、電車を新宿や池袋で乗り継ぎ、学生、高校生、サラリーマン、カタカナ職業人、その他何やら怪しい人たちと一緒の車両に乗り、「お茶ノ水」というにぎやかな駅に降りて、またそれぞれ目的地に散っていく、というのが好きだった。しかし大学3年からはその楽しみが皆無に。京王線の「高幡不動」から「多摩動物公園」行きに乗り換えたら、大学生(明星大もあった)か幼稚園児しかいないんだもん。OLのお姉さんが恋しかったのを覚えている。