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COLUMN●コラム

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#312
環境


 中東や東ヨーロッパ、ときには南米で、戦争に近い状態にある国、あるいは終戦直後のような国の名前が、サッカーの舞台に出てくることに違和感を感じなくなったのはいつごろからだろうか。今年の2月、国立でやった代表イラク戦、あるいは去年の夏、U-22代表が行ったエジプトの大会に参加したパレスチナ。以前だったら「え、サッカーなんてできるの?やってていいの?そんな環境じゃないでしょう」と思ったに違いない。98年ワールドカップフランス大会でアメリカとイランが同じグループになったときは、びっくりした。
 今では「出場すること自体が大変な環境だろうな」とは想像するが、「ありえない」とは思わない。
 その国に住む人たちに直接聞いたわけではないから想像でしかないが、「国がこんなときにサッカーなんて」と眉をひそめる人よりも、「せめてサッカーで自分たちに明るい話題を」と望んでいる人が多いのかもしれない。もちろん準戦争状態に慣れている、ということもあるだろうが。フランス大会でアメリカに勝ったときのイラン国内はどんな感じだったのか。もう、その1勝ですべてOK。優勝にも匹敵する喜びだったろう。
 日本の浦和にいる僕が発言していいのかどうかわからないが、厳しい状況におかれている人々の希望の対象にサッカーがなっている、のは間違いないだろう。そして試合結果が国の内情に比例するとは限らないのも事実。だから希望の対象なのだ。
 時にルールも信義も無視されることがある国際紛争。国家と国家がそういう状態にありながら、選手たちはルールと信義の中で勝負を争う。戦争や殺戮に人間の残虐さを見るのは簡単だが、スポーツに人間の強さを見ることもできる。そしてスポーツを見ることによって、殺し合いの無意味さに思い当たることもあるのだ。


 国際的な話とはレベルが違うが、レッズのハートフルクラブのコーチをしている池田伸康さんから、水戸ホーリーホック時代の話をたまたま聞いた。レッズがJ2にいた年、水戸の選手が試合の準備をしているのを見てびっくりしたが、まだまだそんなものではなかった。公園で、ゲートボールのお年寄りと場所争いをしながら練習し、終わったら水道で体を洗う。練習中、「誰々が来てないな」「今日はバイトです」というのが日常。練習にはトッティやデル・ピエーロら有名選手がいっぱい。ウェアの話だが。
 今度、本格的に聞いて紹介したいと思うが(言えない話もいっぱいあるが)、じゃあその水戸のチームと浦和レッズが試合をしたら10回やって10回ともレッズが勝つか、と言えば断言はできない。それがサッカーだ。「それがスポーツだ」と言えばいいのだろうが、サッカーは頑張りが勝敗を左右する度合いがより強いスポーツだと思う。たとえば野球は、投手と打者の勝負がスタート。基本的には1対1だだが、サッカーは、相手の数倍動く覚悟があれば、局面では2対1、3対1の状況を作り出せる。その「相手の数倍動く覚悟があれば」というのが簡単なことではないのだが。
 サッカーをやる環境の良し悪し、は歴然としてあるが、やってしまえばそれが自分たちの環境だ。


 30GBのパソコンは、それ以上でも以下でもない。しかし人間は頑張りによって発揮する能力が上がったり下がったりする。ふだんの練習によって、自分の最高値を少しずつ引き上げておき、試合のモチベーションによってその最高値を引き出す。最高値がいくら高くてもそれを引き出す気持ちがなければ、格下の相手にも負けてしまうという訳だ。
 同じJ1の中で、「格下」などあるはずがないが、相手の位置や状態によって下に見てしまうことがよくある。先日のナビスコ大分戦がそうだったかもしれないし、今季いまだ勝ち星がない清水や広島に対してもそういう気持ちになってしまうかもしれない。それさえなくなれば…。
 今から、日本平に向かう。

(2004年4月14日)