Weps うち明け話
#033
中村祐也
 先々週は3回も更新したから、先週は更新しなくてもいいだろ、などと思った訳では決してなく、MDPが忙しくてなかなか書けなかった。先週書きたかったことは、中村祐也のことだ。

 MF、中村祐也を初めて見たのは1998年の11月23日、埼玉県サッカー少年団大会の最終日、大宮サッカー場だった。そのころはMDPのページも増えて忙しくなっており、ふだんの少年サッカーの取材にはなかなか出かけられなかったが、県大会の最終日は複数の人間が必要ということもあり、久しぶりの現場だった。あ、その当時は埼玉新聞社に勤めてました。

 上福岡少年少女サッカークラブは、僕の少ない経験だけで言うのは何だが、個人技を徹底的に鍛えるところで、ボールを持ったらとにかくドリブルで行けるところまで行く、というカラーだった。だから、毎年ある程度は勝ち抜いてくる、という印象がある(これを関係者の方が読んでいて、違ったら指摘してください)。
 その上福岡がベスト4に入っていた。準決勝、決勝で目立ったのが中村祐也というトップ下の選手。ゴールを決めるのはFWが多かったが、そのお膳立てをしていたのは彼だった。ドリブルのうまさと一対一の強さは僕の知っている「上福岡らしさ」だったが、それに加えてDFを自分にひきつけておいてフリーのFWにパスを出すタイミングなどが絶妙だった。
 上福岡は決勝で、全国にその名を知られる新座片山を破り優勝。当然のように祐也は数人の記者(たしか僕以外にもいた)に囲まれたが、落ち着いた受け答えをしていたと記憶している。
 年が明けてしばらくするとレッズのジュニアユースのことが話題になり、中村、という選手が入ったことがわかった。フルネームを聞くとまさに中村祐也。「お、レッズに来たか」と思った。今ほどトップと下部組織が密接でなかった時代だが、やはりユース、ジュニアユースは強くあってほしいし、地元の良い選手がレッズに来ないのは残念だ。
 祐也は予想に違わず、めきめき頭角を現わしていった。常に上の学年のチームで中心になり、中3のときには日本クラブユース(U-15)選手権で優勝。このときには大会MVPになった。本人は「周りが取らせてくれたと思っている」と言うが、周りを生かす選手がいてこその優勝だった。
 ユースの高校2年。祐也はサテライトのトップ下で準レギュラーだった。初めのうちはなかなかボールが集まらなかったが、取られない、タメを作っていいところに出す、そんなプレーが定着すると、レッズのボールは自然に祐也のところに集まるようになった。そしてそのころからトップ昇格が確実視された。
 練習に集中するため、自宅から寮に引越し、高校も通信制に替える。レッズが本格的にユースをプロ選手育成の場と位置づけたのが2002年。それにふさわしい方針を打ち出したのが2003年で、祐也はその第一号だったのだ。

 しかしプロ予備選手としての生活が始まったはずの高校3年春。祐也はリハビリの真っ最中だった。腰椎分離症。若年層に多いと言われるこのケガは、専門家に聞くと亀裂が完全にくっつけばそれでよし、くっつかずにそれで固まればそれでもよし、というものらしい。なまじ成長過程にあって、くっつこうとするから痛みが出る。大人になれば、亀裂が入った状態で治まる。そういうものだと聞いた。聞きかじりだから、正確な表現ではないかもしれないが。とにかく、そう深刻にならなくてもいいようなので安心した。と言っても安心したのはつい先日だ。祐也の2004年は、少し良くなってはまた痛みが出る、という繰り返しで、本人にとっては本当にプロになれるのか、いやサッカーができるようになるのか、不安の毎日だっただろう。僕も、あの小学生離れした、中学生離れした、高校生離れしたプレーが、プロの世界ではどうなるのか早く見たかった。
 もちろん、「超高校級プレーヤー」はこれまでいっぱいいたし、彼らがJリーグの中で「並み」のプレーヤーにさえなかなかなれないを見ているから、甘い考えでいた訳ではない。祐也がどこで壁に当たるのか、どうやってそれを乗り越えていくのか、それを間近で見たかったのだ。ところが高校2年の秋からほぼ2年間、壁に当たる機会さえ彼にはなかった。
 10月6日、サテライトとレッズユースが練習試合を行うと聞いて大原のプレスルームの前のテラスから見ていた。祐也30分×3本2本目に出場。4・4・2のフラットな中盤の左をやっていたので、僕の位置からだと一番近くに見えるポジションだった。楽しみ半分、不安半分(僕が不安になることはないのだが)で見ていた。後ろから縦のパスが来た。相手選手が寄って来る。まともなトラップをするとボールに触られたり、体を入れられたりするタイミングだった。一瞬だった。ボールに触れるか触れないかのようなトラップで、スピードを殺さず方向だけを変え、同時に体の向きを前方に移し、寄って来る選手からボールを守った。そして次の瞬間、前線の味方にパスを送った。
 見ていて何とも言えない幸せな気持ちになった。相手はユースの選手だから、割り引いて考えないといけないが、それでも僕の知っている中村祐也を2年ぶりに見たからだ。本人は「15分だけだけど、何もしていなかった」と言っていたが。

 その4日後、東松山陸上競技場で行われたサテライトリーグで、祐也は先発出場した。ポジションは練習試合のときと同じ左ハーフ。さすがに鹿島のサテライト相手に、そうそう自由にはできなかったが、一つだけ「おや?」と思ったことがある。
 前半の22分、祐也は左足で惜しいシュートを放った。その展開は、左サイドでボールを持った祐也が中央を走るセルヒオ(エスクデロ)にパスを送り、そのリターンを受けてゴール前に迫る、というものだった。セルヒオはトップチームでならともかく、サテライトの試合ではゴール近くで味方にパスすることはあまりない。ドリブルが詰まったりした場合でも強引に突破しようとする。また、それが成功してしまうことがあるのが、彼の魅力なのだが、どちらかというとかつてのエメルソンみたいなところがある。
 ところが、そのセルヒオが祐也に言われてパスを戻したのに僕は少し驚いた。ユースで一緒だったからか?いや、セルが高校1年だった去年は、祐也はもうリハビリだったから、ほとんど一緒にプレーしていないはず。ふだんは周りから「セル!」「セル!」と呼ばれてもほとんど出さないのに。セルと祐也の間には何か感じるものがあるのだろうか。
 もしかして、将来のレッズの攻撃の柱はこの2人か?などという考えがチラリと頭をかすめた。レッズはレギュラー陣の年齢が低いから、若手になかなか出番が回ってこない。今季入った近藤、細貝、赤星、セルヒオ(二種登録だけど)たちは、トップデビューはしたものの彼らの時代が来るのは、もう少し先だろう(大山も去年Jリーグデビューした)。中村祐也をその中に含めて考えても良さそうだ。
(2005年10月20日)
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