Weps うち明け話
#098
大宮伝説
 いや、焦った。何がって1月7日のスポーツ報知。1面にでっかく「阿部、浦和」の文字。普通の状況なら別に焦ることはない。阿部の移籍先としてレッズが最も有力だろうというのはわかっていたから。
 焦った理由は、その新聞を見た場所、札幌駅だったから。これがホントならすぐにホームページ用の取材に大原に行かなくてはいけない。去年の今ごろ、東京で一仕事終えて、浦和に着いたら携帯電話が鳴って「伸二の移籍が決まるから、すぐに大原へ行って中村GMの取材の準備してくれ」という指示。そのときは浦和にいたからすぐに対応できたけど、札幌からじゃそんな簡単にはいかない。第一、この日も泊まる気でいたのに、急に帰れと言われても…。
 と読み始めたら、要は阿部が大阪まで行って、オジェックと会談したというのが事実としての内容。いろいろな「状況証拠」によって、レッズ移籍がますます色濃くなったのは間違いないが、決定したということではなかった。よくよく見たら見出しも「浦和へ」だった。「へ」は小さかったが。それにしても極秘会談をかぎつけた報知、やるなあ。

 そういう訳で1月6日、北海道在住レッズサポーターの新年会&ダブル優勝祝賀会に参加してきた。「優勝祝賀会」がついていない時代から、毎年呼ばれることは呼ばれるのだがなかなか簡単には行けない。が、今回はお邪魔しなくては、と頑張った。
 そこで初めて会った21歳の女性サポーターから「あのぉ、大宮伝説って何ですか」と聞かれた。僕は「え!」と思いながら、「ああ、そうだよな」としみじみ思った。
 12月16日に発行された2006Jリーグ優勝記念MDPの31ページの僕のコラムの内容をかいつまんで言うとこうだ。

 僕は浦和生まれではないから、浦和のサッカー(おもに高校)が全盛だったころを知らない。だからそれをテーマに浦和生まれの人と語り合うのは難しい。だけどレッズがスタートしたときにはもう浦和にいたから、レッズのことなら語れる。浦和生まれか、そうでないかは関係ない。
 しかしレッズができてもう14年過ぎているのだから、いまレッズを応援している人の中でも、昔のことを知らない人がいる。僕の頭の中にあるレッズの歴史のポイントとなる事柄を知らない人もいる。
 だからこれからの共通点は2006年12月2日のJリーグ優勝にしよう。それなら(しばらくは)みんな同じ土俵で語り合えるじゃないか。

 で、そのレッズの歴史のポイントとして「最下位時代」「大宮伝説」「11.27」「11.19」という表現が出てくる。最下位時代や、11.27、11.19はわかっても「大宮伝説」だけはわからなくても不思議はない。言うまでもなく、これは95年前半の大宮サッカー場をホームとしていたころの連勝のことだ。単なる連勝でなく、ほとんどが厳しい接戦を制して勝った劇的な試合だった。
 言うまでもなく?それがいけないんじゃないか。このコラムを読んでる人なら誰でも知ってると思ってしまっている自分がいる。きちんと説明しないと。
 苦しいことも悲しいこともうれしいことも、過去にはいろいろあった。それらを体験していない人を馬鹿にすることはもちろんとんでもないことだ。だが、知らなきゃ知らないでいいや、と別扱いするのも良いことではない。特に僕のような仕事をしている人間は、それをわかりやすく説明することも今後の役割になってくるだろう。

 2007シーズン、初めてレッズを見に来る人はますます増えていくだろう。そして「見る」から「闘う」に変わっていく人も少なくないはずだ。その人たちの知らない時代のことを、押し付けがましくなく、しかも臨場感をできるだけ添えて情報として提供していかなければならないな、と札幌からの帰り、決意したものだ。
 特に今季の監督オジェック。第一期オジェック時代を知らない人も相当数いるだろう。今年はいつも以上にやりがいがありそうだ。問題はMDPのキャパシティかな。これ以上、文字を小さくしたら、自分自身が読めないし。
(2007年1月12日)
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