Weps うち明け話
#178
寒いビッグアーチ
 ビッグアーチは寒かった。少し前に初夏の陽気の日もあったくらい暖かくなっていたから、そのギャップがよけいに寒さを感じさせたのだろう。スチールカメラマンは試合中じっと座っているから体を動かして暖めることができない。しかも屋外。ペン記者に比べて不利だなあ、と思っていたが、話を聞くと風が回るスタンドの記者席もけっこう寒かったようで、まあ少しナめていた自分たちが悪い。家には張る使い捨てカイロが山ほどあったのに…、と悔やみながら広島戦の写真を撮っていた。
 昨日は山田直輝がトップチームで初のスタメン。他の選手よりはよけいにシャッターを切る。また原口元気もボールを持つシーンが多いから、よくファインダーに入ってくる。

 あれ?

 寒いビッグアーチ。直輝、元気…。なんだっけ…?
 デ・ジャブではなく、確実に似た体験をしてるんだけど…、とカメラを構えながら記憶をたどった。
 あ、雪の高円宮杯!

 レッズジュニアユースが高円宮杯全日本ユース(U-15)選手権で優勝した2005年。あの大会の決勝トーナメント1回戦と準々決勝は、広島ビッグアーチで行われたのだった。前年までなら来ていなかっただろうが、会社を辞めて自分の裁量で経費を使えるようになった年だったから、僕は2泊3日でその2試合の取材に広島まで来ていた。12月17日、18日という天皇杯がない日程だから来られたのだった。詳しくは05年12月19日付の#45「ベスト4」を見てほしい。

 直輝も元気もあの試合に出ていた。今日は帯同していないが、峻希も大活躍だった。拓也はあの大会、グループリーグで足首を捻挫し、戦線を離脱していた(島根でやった、その試合にも行ったなあ)。水輝はあのころ、まだアメリカにいたのかな。それとも日本に来て、翌年からのレッズユース入りの準備をしていたのか。

 15歳、14歳だった直輝と元気が、18歳、17歳になって、色とデザインは違うが同じ浦和レッドダイヤモンズのユニフォームを着て、同じスタジアムでプレーしている。なんだか感慨深くなった。
 全国2冠を果たした05年は敵なしだったが、今はプロの世界でなかなか思うように結果を出せないでいる。しかし昨日の2人は、ぴったり息の合ったコンビネーションプレーを何度も見せた。残念ながらフィニッシュは決まらなかったが、試合結果以外では楽しませてくれた場面が何度もあったと言っていい。立場を忘れて白状すれば、「ここに峻希とタク、連れて来いよ。ついでに中大からトモ(田仲智紀)も」と思ったことは事実だ。そうすれば点が入っていたとか勝っていたとか言う気はない。しかし、あと1本、2本パスがつながる場面が増えたと思う。それほど彼らはお互いを分かり合っている。フィンケの目指すコンビネーションサッカーが6年間でかなり身についているということだろう。
 昨日は途中からセルヒオと代志也が出て、フィールドプレーヤーにレッズユース出身者が4人、という公式戦では初めての状況になったが、じゃあ今年10人いるユース組を全員先発させればいいか、というとそうではない(てか、順大と幸輝の同時先発は無理だし)。
 経験のある選手と若手が競い合ってチームを作っていってこそ、良いチームになる。そこでは世代交代、新陳代謝もあるだろうし、逆に壁につぶされかけることもあるだろう。そういうミキシングが年齢制限のないプロチームでは可能だし、それがチームの質を上げるということになる。
 ユース組が経験を積んでいくのにも、昨年までのサッカーになれた選手たちが4-4-2のコンビネーションサッカーを完全にモノにするのにも時間がかかると思う。だが、それをミックスして進めることのできるレッズは、その時間を少し短縮できるのではないかと思うのだ。
(2009年3月26日)
〈EXTRA〉
 05年12月18日の雪のビッグアーチにはレッズサポーターも何人かいた。そして昨日もその人たちを見た。きっと僕と同じ気持ちになっていただろう。
写真1
05年12月18日、高円宮杯全日本ユース(U-15)選手権準々決勝に臨むレッズジュニアユースのイレブン。このときはまだ小雪が舞う程度だったが…(広島ビッグアーチ)
写真2
試合が終わったころは、このとおり
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