Weps うち明け話
#222
時代の変わり目に間に合った
 第13回全日本女子ユース(U-18)選手権で、浦和レッズジュニアユースレディースが初優勝した。1月7日、8日に行われた準決勝の相手は大会ベスト4常連の藤枝順心高、決勝の相手は4連覇を狙う常盤木学園高だったが、いわゆる「妥当な結果」の勝利だった。

 浦和レッズが、前身のさいたまレイナスから運営を移譲され、浦和レッズレディースが誕生したのは05年2月。しかし入念な準備の末に行われた移譲ではなかったから、レディースに関する多くのことが、発足後に整備されていった。試合の有料化やプロ選手の創出は06年からだし、遠征時のスーツなども06年の途中から着用するようになった。選手たちが働く場を、地元企業に理解を求めながら協力を要請していったのも、06年から07年にかけて始まった。
 レッズレディースの整備がそういう状況なのだから、下部組織であるレッズジュニアユースレディースに関しては、さらに後手に回ったのも止むを得なかったのだろうか。05年、レッズレディースの練習を取材に行くと、近くで練習しているジュニアユースレディースの選手たちは、まだ前身の「レイニータ」の練習着(ユニフォーム?)を着ていた。見ていて寂しくなったのを覚えている。

 現場の指導体制は神戸慎太郎監督を始め、レイニータ時代のものをほぼそのまま引き継いだ形となったが、クラブの管理ははっきりしなかった。そもそもレッズレディース自体、クラブのどの部門が管轄するのか曖昧なままスタートしたのだから、その下部組織をどこが見るのかまでは手が回らなかったのだろう。06年にアカデミーセンターが発足し、ジュニアユースレディースもその管轄となったが、トップチームーユースージュニアユースという縦の関係がはっきりしている男子に比べ、ジュニアユースレディースとレディースの組織的関係はよくわからなかった。

 07年に、渡辺隆正氏がハートフルクラブからジュニアユースレディースのコーチに異動した(このあたりのことは#155に詳しく書いた)。ようやくクラブとしてジュニアユースレディース強化のテコ入れをし始めた、と言えた。そして08年、レッズレディースの監督に村松浩氏が就任してから、さらにレディース部門は変わり始めた。
 08年は、クラブの管轄で言うと、レディースは強化部門、ジュニアユースレディースはアカデミーセンター(育成部門)と分かれてはいたが、現場では合同で練習をしたり、練習試合を行ったりと、徐々に連携が密になっていった。これはかつて育成部門の責任者を務めた村松監督の働きかけによるものだった。ジュニアユースレディースの公式戦会場に村松監督や工藤輝央コーチの姿があることは珍しくなかったし、神戸監督とのミーティングも頻繁に行われた。

 09年、ジュニアユースレディースの竹山裕子(高3)、岸川奈津希(高3)、池田咲紀子(高2)が、なでしこリーグに出場可能なレッズレディースの選手として登録され、このうち竹山がリーグ戦ほぼ全てに出場したというのは、前年から村松監督がジュニアユースレディースもしっかり見ていたからにほかならない。ジュニアユースレディースが、レッズレディースの選手を育成する場として本格的に稼動し始めたのは08年からだったということだ。そして09年8月、クラブの組織変更で、レッズレディースとジュニアユースレディースはともに、ホームタウン活動推進部門の傘下となり、レディース部門を統括する責任者に村松監督が就いた。ジュニアユースレディースの総監督を兼ねるということだが、これは実質的に進んでいたものを組織的にもはっきりさせたに過ぎない。

 昨年までは、高校3年生が1人か2人、という状態でこの大会に臨むしかなかったが、今回優勝したチームに高校3年生は6人。このうち高2のときに加入した岸川を除き、5人は中学生時代からの所属選手。05年にジュニアユースレディースが誕生したときは中学2年生だった。つまり前述した、レイニータのユニフォームで練習していた世代だ。神戸監督としては、クラブ移行時の苦労や、06年から毎年のように、全国大会に出場しながらタイトルに届かない悔しさを共に味わってきた彼女たちと一緒にタイトルを獲れたことが大きな喜びだったのではないだろうか。特に09シーズンは、U-15チームが優勝、レディースが優勝と、女子部門でのタイトルが増えるたびに、喜びと同時に「あとはU-18だけ」というプレッシャーを感じていたはずだ。
 1月8日、優勝を決めたあと「正直、飲まないと寝られない日もあった」と、もらしてくれたが、この夜、浦和に帰ってから飲んだ酒はさぞかし美味しかっただろう。

 2010シーズンからは、ジュニアユースレディースに加入した年からレッズの一員という選手たちで占められる。レッズレディースの下部組織に入りたい、という女の子たちも年々増えているはずだ。そういう意味では、ジュニアユースレディースとして新しい時代に入ったということだ。繰り返しになるが、その時代の変わり目、変わる直前に歴史を刻んだジュニアユースレディースの選手たちと神戸監督に賛辞を送りたい。
(2010年1月12日)
〈EXTRA・1〉
 2009シーズンの女子3タイトル獲得に比べて男は…、と言いたくなってしまうが、レディースも村松監督が就任した08年は3位と低調だった。しかし、サッカーのやり方を変えずチームに浸透させてきて、09年のチームを作り上げたのだ。ジュニアユースレディースとの連携もその年からで、特に何人かの選手をレディースで練習させることで個人のレベルを引き上げ、それをジュニアユースレディースの中で核として生かしていく、というやり方が奏功したと思うが、それは短期間で結果が出るものではない。
 今回のレディース部門躍進を見るにつけ、決めたやり方を貫くことがいかに大事か、よくわかる。村松監督も、レディース部門は「自分たちがこういう方向性を持ってやろうということに、しっかり腰を据えて取り組める環境にある」と語っている。たしかにレディースに関して、3位に終わった08年も、09年のトップチームのように周囲からの雑音はなかった。
 だがトップチームは選手も指導者もスタッフもプロで固めた集団。雑音があろうがなかろうが、そんなことにかかわらず決めたやり方を貫いていって欲しいものだ。クラブが、できるだけ良い環境を作る努力を怠ってはいけないのはもちろんだが。
〈EXTRA・2〉
 昨年もそうだったのだけど、日本サッカー協会のホームページには、全日本女子ユース(U-18)選手権の写真はもちろん、どこが優勝したということすら、大会名をクリックしないと出て来ない。全日本女子ユース(U-18)選手権のページを開くと、そこには全日本女子選手権の決勝ベレーザ対レッズレディースの写真がある。
 大会会場のアナウンスでは「この年代の女子日本一を決める、最も権威のある大会」と言っているのだが、少なくともホームページ上では、そんな位置づけになっていない。全国高校選手権の優勝はいち早く載っているのに。
 別に、レッズが優勝したのに扱いが小さいと文句を言っているのではない。昨年、レッズは準優勝だったが、優勝したときの常盤木の選手たちを撮った写真があったので、せめてそれでも載せてあげたら、と日本サッカー協会の広報部に連絡して写真を送ったのだが、写真が下手だったのか、僕のようなものから指摘を受けて掲載するのは協会の沽券に関わるからか、やはり載らないまま。ただ、今年は違うだろうと思っていたら、やはり扱いは変わらない。地元の大分県サッカー協会に写真を依頼しておけば済む話なのだが。
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