Weps うち明け話
#233
もう1人のCOME BACK
 4月になると職場が異動になったり、新入社員が入ってきたりと、多くの会社では少し環境が変わって活気が出る(わが株式会社清風庵は顔ぶれは変わらなくても活気はある)。
 レッズの練習場の大原や、試合の埼スタなどで名刺交換をする機会も増え、先日4月24日(土)の磐田戦の際も、プレスルームにいるとき、ある在京テレビ局のディレクターさんから「新人を紹介したいんですが」と話しかけられた。喜んで、と下を向いて名刺を探している間に「スポーツ局に配属になった、ますだこうすけ、です」と紹介された。
 ますだこうすけ?
 聞いたことのある名前だな、と目を向けると、そこには見覚えのある顔が。
「テレビ東京スポーツ局の増田です。よろしくお願いします」と僕に名刺を渡す、その若者はかつて浦和レッズユースに在籍していた増田孝輔君だった。
 ディレクターさんが「レッズのユースにいたことが…」というのを途中で遮り、「知ってますよ。宇賀神たちと同期でしょ。いつも写真を撮りにいってたから覚えてますよ」と答えた。僕のことを「レッズでオフィシャル・マッチデー・プログラムを作っている清尾さん」とディレクターさんが紹介してくれると「はい。よく存じ上げております」と増田君は答え、僕を喜ばせてくれた。

 そのときは時間もなかったのでそれで終わったが、月曜日の朝、彼からていねいなメールが来た。僕も社会人1年生のころ、紹介された人にはなるべく早くハガキを出すなり、電話をするなりすると覚えてもらいやすい、と教わったが、彼もそれを実践しているのだろうか。ただ「名前を覚えていただいていて、すごく嬉しかったです」と一言添えてあったのは、僕もうれしかった。
 僕がレッズの下部組織への取材に重点を置き始めたのは04年の半ばからだ。クラブから、下部組織の活動を知らせる広報紙を作れないか、と打診され「情報や写真は全部提供するし、簡単でいいから」とまんまと騙されて(笑)「Little Diamonds」を作り始めた。その頃、ユースの3年生には大山俊輔や中村祐也がいて、日本クラブユース選手権でベスト4、Jユースカップでもベスト4など楽しませてくれた。またこの年行われた埼玉国体のサッカー・少年の部にもレッズユースの選手が大勢入っていた。
 05年はシーズン最初から、ユース、ジュニアユースの試合にできるだけ行くようにした。「情報や写真は全部提供するし、簡単でいいから」というクラブの話は最初から信じていなかった。自分が関わって作るものを少しでも良いものにしたい、という“欲”がある。
 この年、埼玉新聞社を辞めてフリーになったから、時間や経費を自分の裁量で使えるということも幸いした。春先からずっと見ていた初めてのチームが05年のユース、ジュニアユースというわけだ。ちなみに中学3年生には高橋峻希、永田拓也、山田直輝がおり、高校3年生には宇賀神友弥、小池純輝、堤俊輔、西澤代志也、そして増田孝輔君がいた。

 増田君は宇賀神と同じ戸田市出身で、小学生時代から三菱養和でサッカーをし、高校生になってレッズユースに入った。
 05年のレッズユースはプリンスリーグ関東で4位、日本クラブユース選手権でベスト8、高円宮杯でベスト16、Jユースカップでもベスト16と、前年に比べてふるわなかったが、自分としてはずいぶんたくさん試合を見た感覚がある。増田君の写真もずいぶん撮った。秋になって小池、堤、西澤と3人もトップ昇格組が出たことに僕は驚きと喜びを感じたものだったが、増田君はどうだったのだろう。
 電話で聞くと「自分はプロとしての天秤にかかると思っていなかったので、残念という気持ちはありませんでしたが、やはり同じチームでやっていたので、嫉妬は感じました」と正直に話してくれた。
 彼は順天堂大学に進むが、サッカー部は2年で辞め、学業と就職活動に専念する。専攻はスポーツマネジメント学科。Jリーグのクラブでスタッフとして働く夢も持っていた。しかしJクラブで新卒社員を採用するところは少なく、増田君は進路をスポーツマスコミに定めて、みごとテレビ東京に採用された。総合職での採用だったが、希望どおりスポーツ局に配属され、6月までいろいろな職場で研修を積むことになる。先日、埼スタに来たことも研修の一環であり、レッズ担当になったわけではない。
 それでも僕はうれしかった。
 宇賀神がレッズに正式加入したときも、ユースから大学経由でレッズ入りする道がある。その先駆けとして大歓迎だったが、プロ選手としてでなくても、こういう形でまたレッズの近くに戻ってきた若者がいることが、それがたまたま自分が最初に力を入れて取材した世代だったことがむしょうにうれしい。増田君は、08年10月、レッズユースが高円宮杯で優勝したときも、会場の埼玉スタジアムに見に来ていたから、本当にレッズユースが好きだったんだろうと思う。
「自分たちのときも本気で全国優勝しようと頑張ってましたが、その夢を後輩たちが果たしてくれて、あの日は本当にうれしかったです」と言う増田君。ユース時代を「楽しくてしょうがなかったですよ。もう一度、あのメンバーでサッカーやりたいです」とを振り返る。
 テレビ局に入社し、スポーツ局という希望の職場に入ることは叶った。次の目標はサッカーに関わること。「少し落ち気味のJリーグ人気を盛り上げたいという思い。それを持って仕事をしていきます」と力強く語っていた。

 この仕事にはこんな楽しみもある。やってて良かった。
(2010年4月30日)
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