Weps うち明け話
#239
馬力かけます
 昨日、#238で「ここ20年間ぐらいのことであれば、レッズに関して人に負けないくらい語れる自信は僕にもある」と書いたが、それは正確には「量」の問題。全ての分野に渡って誰にも負けないぐらいの深い知識があるわけではない。クラブ内部のことはスタッフにかなうはずはないし、チームの歴史についてはそのときどきの選手やコーチしか知らないこともある。また知っていても、自分を信頼して明かしてくれたことの中には簡単に公表するわけにはいかないこともある。サポーターのそれぞれのグループのことは、メンバー以外に完全に理解できるはずがない。
  広く浅く、いや浅くはないか。いろいろなことを、そこそこは知っているから、総合的には人に負けないくらい語れる、と言い直しておこうか。

 こんなことをあらためて書くのは、何も誰かから反論があったわけではなく、昨日書き終えてから、先週の金曜のことを思い出したからだ。
 6月25日に浦和パルコの中の飲食店で「安藤梢・凱旋ディナートークショー」があった。浦和レッズレディースのエースで、昨季のなでしこリーグ得点王、安藤梢がドイツ・女子ブンデスリーガのデュイスブルクに移籍して半年。彼女の近況報告を聞き、来年の女子ワールドカップ・ドイツ大会に向けた激励を行う、というもので、50人ほどのファン・サポーターが来場していたと思う。僕も取材というより参加者としてそこにいたのだが、その途中ある女性から話しかけられた。初対面だったが、名前に聞き覚えがあった。
 昨年の12月25日。このコラムの#218で、「私の1999.11.27」をみんなで作ろう、と呼びかけた。その呼びかけに応えてメールをくれた第1号がその人だった。第1号も何も、まだその日のうちに送ってきてくれたのだからびっくりしたし、それで特に名前も記憶にあったのかもしれない。いやいや、それより印象深かったのはメールの中身だ。その追伸だけ紹介しよう。

「追伸:清尾さん。今回の企画に心から賛同いたしました。(中略)私自身、まだ10年しか経っていないのにあの日がすごく薄れているように感じているからです。駒場から埼スタへ移っていった中で、あの日を知らないひとが増えるのは仕方がないといえば仕方がないのですが。
 たまに、同世代のサポから、『駒場はちっちゃいし、きれいじゃないから嫌い』とか『J2時代なんてどうでもよくない?』なんて声が聞こえてくるんですよ。本当に悲しくなります。
 あの日を残して伝えていけるものは絶対に必要です。今回の企画、本当に本当にありがとうございます!!」

 同様のことを、初めて会ったその日にも言われた。そして、上記の(中略)の部分はこうだ。

「たかだか16の私ですが、」

 彼女は16歳。1999年当時の年齢ではなく、現在高校2年生。レッズのJ2降格が決まったときは幼稚園の年長組だった。そういう人から「あの当時のことを知らない人が増えているのが悲しい」と、メールを読んだときも驚いたけど、面と向かって言われたときの感覚がわかってもらえるだろうか。
 僕はもう53歳。「歴史書」を残していくのは自分のような年齢のような人間だろうと、勝手に思い込んでいたけど、そうじゃない。レッズの歴史書には、クラブ、チーム、サポーター、ホームタウンなど、さまざまな分野のことが必要だ。同時に、いろいろな年齢層の人たちの思いも残していかないといけない。特に彼女のように、生まれたときにはすでに浦和レッズが存在していた世代の感覚は、僕たちとは大きく違うだろう。レッズが強くなり出してからレッズファン・サポーターになった人たちの感覚が、もしかしたら99年を知っている人たちとは違うかもしれないように。

 さあ馬力かけよう。「それぞれの11.27」。
(2010年6月29日)
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