Weps うち明け話
#296
短いつきあい
 いろいろユニークなものが多かった森孝慈さんの口ぐせの中で、僕が印象深いのは「短いつきあいじゃったの」だ。
 公式な場では出ない。くだけた席のくだけた間柄で必ず出る。当然、酒の席が多い。たとえばこんな感じだ。森さんを含めた数人で飲んでいて…。
「森さん、僕はこれでお先に失礼します」
「お、いぬるか」
「明日、朝早いもんで、すみません」
「ほうか、短いつきあいじゃったの」
 これを言われると、帰ろうとした足が止まってしまうのだ。こんなに早く帰るなら、お前とのつきあいもこれまでだな、と言われているようで、
「やっぱり、もう少しいます」
 と座り直してしまうことがしばしばあった。
 森さんは冗談で言っているし、こっちもわかっている。第一、こんなに酔っていて、森さんが覚えているはずがない(笑)。しかし言葉の遊びだとしても、森さんとは短いつきあいでいたくない。そういう心理が働いているのだろうか。
 だから、森さんと飲むときは、何時になってもいい、という覚悟をして行ったものだった。

 このエピソードはどこかに書いたような気がするが、どこにも見当たらない。書いてないのか。
 98年の10月3日(土)、レッドダイヤモンズ後援会がアウェイ応援ツアーを企画した。相手はアビスパ福岡。場所は博多の森球技場。それは特に珍しいことではないが、このツアーには、オプション企画として試合後の懇親会がついていた。そのゲストがすごかった。
 森孝慈アビスパ福岡監督。
 試合の後で相手の監督と飲もうという企画を立てる方も立てる方だが(僕も運営委員として企画を立てた側だったが)、「よし、わかった」と来てくれる森さんもすごい。しかも奥さん同伴でお願いしたら、本当に奥さんを連れてきてくれたのだ。参加したサポーターは80人くらいだったろうか。森さんがレッズの監督を辞めて丸4年立っている。にも関わらず、この盛り上がりは何だ?という時間を過ごした。僕らが考えていた以上に、森孝慈という人はレッズサポーターに愛されていたことを、この日実感した。

 これまで僕は森さんと2回お別れをした。
 1度目は93年12月、森さんが浦和レッズの監督を辞めたとき。
 2度目は06年1月。森さんが浦和レッズのGMを辞めたとき。
 どちらも、たまらなく寂しかった。特に2度目は、ナビスコ杯で初優勝し(03年)、ステージ優勝し(04年)、2年連続リーグ2位になり(05年)、天皇杯で初優勝し(06.1.1)、さあリーグを獲るぞ、ACLの準備をするぞ、というときだったので、寂しいだけでなく、当時は不思議でもあり、あとが不安でもあり、複雑な気持ちだった。
 だが、直接一緒に仕事をすることはなくなっても、たまにお会いしてお話しする機会はあった。そのたびに、森さんが浦和を愛する気持ちは変わらないことをいつも実感できたから、すごく楽しかった。森さんが、いてくれるだけでよかった。

 きょう3度目の、そして永遠のお別れをしてきた。
 僕が森さんに初めてお会いしたのは、「#051」にも書いたように90年の秋。日本サッカー界に偉大な足跡を残して来られた森さんの人生の中では、ほんの短い期間に触れ合わせていただいたに過ぎない。
「ああ、清尾さん。あんたとも短いつきあいじゃったの」
 最後にお顔を拝見したとき、森さんのいつもの言葉が思い出された。
 そうですよ!森さん、早すぎますよ。こんなに短いつきあいじゃ、嫌です!

 でも。
 短くても、すごく濃いつきあいをさせていただいたと思っています。
 いろいろありますが、辛くなったときは、森さんのポジティブ・シンキングを真似して、これからも浦和レッズのために頑張っていこうと思います。
 本当にありがとうございました。
 安らかに。

(2011年7月22日)

TOPWeps うち明け話 バックナンバーMDPはみ出し話 バックナンバーご意見・ご感想