Weps うち明け話
#317
2011シーズンとは・その4
5.代表の選任

 浦和レッズの代表は、現在の橋本光夫さんが7代目となる。レッズのクラブ運営に関して、常に指摘されることだが、クラブの代表すなわち株式会社三菱自動車フットボールクラブの社長は、三菱自動車工業株式会社から派遣されるというのがある。株の過半数を所有している三菱自工にはその決定権があるから、そのこと自体には何の不当性もない。
 だが、代表の交代がクラブの判断ではなく、三菱自工の事情や判断で行われていること。そこに浦和レッズの困難がある。そしてサポーターの、クラブに対する不満が蓄積してきた遠因の一つもそこにあると思う。

 典型的な例が、2002年の代表交代だ。その前年、前任者の中川繁さん(97年10月~01年6月)から代表を引き継いだ塚本高志さんは、わずか1年という異例の短さで任を降りた。塚本さんに何かの落ち度があったわけではない。それどころか、01年の終わりからレッズの強化面で大胆な手を打ち、森孝慈GM、オフト監督を招聘して「3年かけて強いチームを作る」という改革に乗り出した直後の交代だった。そういう手が打てたのも、代表就任前の1年間、常務取締役として浦和レッズには何が必要で、何をやってはいけないか、をじっくり把握してきたからだろう。
 これにはびっくりした。当時、塚本さんは「まあ、いろいろあるんだ」と笑っていたが、その後、完全に三菱自工側の事情、都合によるものだとわかった。
 この02年6月の、塚本さんから犬飼基昭さんへの代表交代がサポーターに印象深いのは、チームをどう強化していくかをクラブがはっきりとサポーターに示し、それに基づいてチーム作りを進めていく、ということを浦和レッズとして初めての取り組んだのに、それがご破算になってしまったことだ。犬飼さんは就任直後から「3年も待てない、2年だ」と言っていたし、オフト監督のサッカーや選手起用についても公然と批判していた。そして2年目の成果すらまだ未確定だった10月の段階でオフト解任を決めてしまった。
 じっくり基礎から鍛えて強いチームを作るという方針から、大物選手を補強して勝てるチームを作るという方針への転換。これ自体は、おかしなことではない。実際、その後数年間、タイトル獲得というサッカークラブの本来の目標は達成したからだ。
 だが、浦和レッズというのは、代表が替わるとそれまでの方針が簡単に反故になってしまう、ということを印象付けたことは間違いない。

 この例があるから、2009年の代表交代のときに「またか」という懸念が頭をもたげたのは当然だろう。
 藤口光紀さんは、06年の4月に犬飼さんの後を受けて代表に就任(会計年度が変わったので、人事交代の時期も6月から4月に変わった)。08年の終わりに、「レッズスタイルの確立」を掲げた。それまで浦和レッズとしての「チームのスタイル」というものはなく、誰を監督にするかで、その戦い方は変わってきた。まず「スタイル」をクラブとサポーターが共有し、それに合わせた選手の育成・補強、それを遂行する監督の選任をしていこう、ということだ。
 2002年の改革は「3年かけて強いチームを作る」というもので、どういうサッカーをするかはオフト監督にお任せだった。この2009年の改革は、それより一歩発展したものだったと言える。
 しかし提唱者である藤口さんが4月に解任。これも三菱自工側の決定だった。名目は「経営不振の責任」ということで、まるでレッズ側の事情のようにも聞こえるが、新しい方針を定め、これでチームを立て直そうというスタートした矢先の代表交代。ここにはレッズを何とかしていこうという思いが感じられない。
 後任の橋本代表は「方針は変えない」と明言し、とりあえずのサポーターの懸念を払拭した。だが外部からの圧力もあり、またフィンケ個人の性格もあって、監督とクラブの関係は良好とは言えなかった。もし代表が09年だけでも藤口さんのままだったら、フィンケが疑心暗鬼になることもなかったかもしれないし、異常と思えるほどの「フィンケ降ろし」策動にも反撃していたかもしれない。
 すべては「たら」「かもしれない」になってしまうが、浦和レッズの意思ではなく代表が交代したことと、方針として掲げたレッズスタイルの構築が停滞していることは間違いない事実だ。そして、そのレッズスタイルの解釈が当初と違ってきていることは、これまで述べてきた。

 最初に書いたとおり、株の過半数を所有している三菱自動車がレッズの代表を選任するという仕組み自体はおかしなものではない。だがクラブが何かに向けて地道な作業を始めようというときに代表が交代してしまう、という2度の出来事が、レッズのチーム作りにどういう影響を与えてきたか、そしてレッズサポーターにどういう思いを抱かせてきたか。2011シーズンだけの話ではないが、今回言わなくてはならないことの一つだろう。
(2011年12月28日)
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