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Weps うち明け話 #1096

来週も(2021年8月20日)

 

 足かけ30年も浦和レッズと付き合っていれば、たいていのチームと何らかの因縁ができているものだ。

 サッカー関係者に広く知られているものもあれば、レッズ側からだけ強く感じているもの、僕だけが執念深く思い続けているものなど、大小(大きさで言うのも変だが)さまざまだ。

 そして、一つだけでは何の因縁にもならないが、ふたつみっつ重なったときに何かの縁(えにし)を感じることもある。

 

 8月14日(土)。

 サガン鳥栖戦は苦戦だった。2得点自体はきれいな形だったが、よく失点を1で抑えられたな、と思うほど鳥栖の攻撃を受けていた。

 試合が終わったとき、僕の隣にいた大住良之さんが「鳥栖の方が点を取っていてもおかしくなかったね」とつぶやいた。つぶやきだけど、大住さんの右にいた森雅史さんにも聞こえる程度には大きかった。

 すると、「いやあ、このスタジアムでは鳥栖が2-1で負けることになってますから」と森さん。森さんは、特に鳥栖とのパイプが太いサッカーライターだ。

 その声が僕にも聞こえたので、「あれは延長で2点目が入ったんで今日とは違うよ」と反論。

 引かずに「いやいやスコアは同じです」と森さん。

 時節柄、顔を向き合わせてではなく、相手にも聞こえる程度の独り言の応酬で雑談していた。

 

 鳥栖との勝ち試合では、2013年の6-2とか、4点取ってから3点取られた2012年、珍しくアウェイで大量得点した2015年(6-1)が思い浮かぶ。逆に負けた試合で「終盤失速」と言われた2012年や2013年のアウェイ戦、負けではないが優勝を逃す一因となった2014年のアウェイ戦が記憶に残る。試合結果とはあまり関係のない、2014年のホーム開幕戦も決して忘れることができない。

 

 今回のように2-1という結果だけでは、アンテナに引っかかってこないが、会場が駒場だと話は別で、心の琴線を激しく揺さぶられる。

 2000年11月19日。途中からレッズが10人となり、しかも鳥栖が勝ち越すチャンスのPKを得るという絶体絶命のピンチをしのぎ、引き分けが許されない状況で延長を戦う中、VゴールでJ1復帰を決めたJ2リーグ最終節。駒場スタジアムで間違いなく五本の指に入る思い出だ。

 細部は違うが、「駒場の鳥栖戦」だけで通じる人も多いだろう。

 

 そして来週は「駒場のサンフレッチェ広島戦」。

「駒場の鳥栖戦」でグッと来た人なら必ず、これにもピクッと反応するだろう。喜怒哀楽を抜きにした感情の絶対値で思い出を測れば、100パーセント五本の指、いやトップ3に入るのが、1999年11月27日の広島戦だ。

 

 まさか、今年はレッズがリーグ戦を12年ぶりに駒場で行うと聞いて、Jリーグ事務局が仕込んだんじゃあるまいなとさえ思う、この2試合。今の選手たち、そして多くのクラブスタッフも体験していない、20年以上前の2つの最終節だが、記憶に深く刻まれているサポーターはまだ多いはずだ。そしてかつてのサポーターが、どんな思いをしながら闘っていたのか、語り継いでいくことは決して無駄ではないと思う。

 それが「知っている者」の存在意義でもある。

 

 8月14日。試合前にビジュアルの準備をしてくれたサポーター、止まない雨の中「THIS is KOMABA」という新しい文字旗を支え続けてくれサポーターに、あらためて敬意を表したいし、自分の力の続く限り「KOMABA」を伝えていきたいと思っている。

 

(文:清尾 淳)