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Weps うち明け話 #1154

3年計画の背景にあったもの~2022シーズンの話・3(2022年12月23日)

 

 2019年12月12日にクラブが新強化体制の記者会見を行い、3年計画を打ち出したとき、僕が最初に懸念したのは、これが単なる困難の先送りというか、タイトルの約束手形化というか、つまりいますぐの優勝は無理だから3年後には何とか、とサポーターの不満をかわすためだけのものではないだろうな、ということだ。

 

 次に懸念したのは、2002年から行われた「3か年計画」のように、クラブの体制が変わったら、計画もウヤムヤになってしまうことはないだろうな、ということだ。

 どちらも「それはない」と土田尚史スポーツダイレクターは断言した。もちろん、そういう答えが返ってくることはわかっていた。

 

 土田さんは、GKコーチのころから「このままの浦和レッズじゃいけない」と考えていた。チーム強化の問題、浦和の街との一体感の問題、クラブ内の結束の問題…、さまざまなことが理想から離れたところにある、と感じていたようだ。

 

 クラブ内の結束に関しては、以前は浦和市内の事務所(旧レッドボルテージがあったところ)でほとんどのスタッフが仕事をしていて、チーム関連の現場スタッフが大原サッカー場にいるだけだった。

 ワンフロアでの仕事だから、部が違っても一体感はあったし、どの部がどんな仕事に取り組んでいるか、どんな壁にぶつかっているか、詳しくは分からなくても何となく感じることはできた。

 

 それが現在は、大原、埼スタ、レッズランドと、さいたま市内の3個所に事業所が分かれている。仕事が増えてきたことによってスタッフも多くなっている。チームという求心力はあっても、部をまたいだ業務などがスムーズに進むには、人と人との直接のつながりが重要な潤滑油となる。

 その一助となれば、と土田さんはGKコーチ時代に1年に1回ぐらいの頻度で、若手スタッフに声を掛けて懇親会を開催して、交流を図っていた。

 

 その土田さんが、自らコーチを辞めてクラブスタッフになった。クラブをどうにかしたい、という思いが彼を転身に踏み切らせた。

 しばらくはホームタウン活動を中心にやっていたようだが、この2019年の強化体制の変更に伴い、スポーツダイレクターの職を打診され、受諾した。チーム強化も、やらなければならないと思っていたことの一つだった。

 そして3年計画の立案と発表に踏み切った。

 

 監督任せのチーム作りではなく、クラブとしてサッカーのスタイルを定め、それをチームに浸透させる。それに適任の指導者を探し監督に据える。選手も特性を見きわめ、目指すスタイルに合った選手を獲得する。それは、以前から常々、土田さんが言っていたことでもある。

 

 もう一つ。「浦和を背負う責任」というキーワードを強調した。これは選手の戦う心構えを、端的な言葉で表わしたものだが、同時にこれはクラブ全体にも必要なことだと考えていることは、先ほど述べたとおりだ。2019年12月12日の記者会見ではこう語っている。

「これは、選手だけのことだけではないと思っています。(中略)その中でこの浦和レッズというクラブが、だんだん浦和との距離感が空いてきているのではないかと感じています。(中略)選手にも要求します。(中略)でもそれは、クラブがまず浦和をもっと大事にしなければいけないのではないか、そこも本当に見ていかなければいけないところだと思っています」

 

 スポーツダイレクターになって、急に考えたことではなく、ずっと思い描いていたことをスポーツダイレクターという立場で実践する。そういうことだから、サポーターに3年待たせるための作文だとか、3年の途中で止めてしまう、などということは絶対にないだろうと思っていた。

 

 ところが2020年、3年間がスタートしてすぐに新型コロナウィルスの感染拡大があり、Jリーグ公式戦が約4か月中断したことは、新しいチームを作っていくときに大きなダメージだった。

 さらに土田さんが2020年の途中、体調不良になり、仕事を離れた。復帰してからも、以前のように精力的には動けなかった。完全に復活したのは、今年の6月からだった。

 

 コロナ禍と責任者の離脱。

 3年計画が環境的に厳しい状況に置かれたことは間違いない。その中でも、西野努テクニカルダイレクターの奮闘により、リカルド・ロドリゲス監督の招聘や多くの選手の獲得という、チームの人的な変革は大きく進んだ。新しいサッカーのスタイルも選手たちの努力により、だいぶ浸透していった。2021年には天皇杯優勝というタイトルもつかんだ。

 

 2022年は「3年計画の最終年で、リーグ優勝が目標」。それはクラブ内外に周知されていた。

 スーパーカップで川崎フロンターレに完勝したときは、良い滑り出しだと思われたが、Jリーグでは結果が出なかった。

 その要因については、いろいろあるだろうが、僕は2022年が3年計画の実質2年目であり、チームの成熟度も選手のスキルアップも十分とは言えない段階であったことを挙げたい。

 

 クラブにしてみれば「2020年を3年計画の1年目とするには無理があったから、1年ずらしたい」とは言えなかったのだろうが、今季の選手29人のうち25人が在籍2年以内であり、監督も就任2年目なのだから、逆に「3年目」と言うほうに無理がある。

 

 3年目でも2年目でもいいから、今季はどうだったんだ。

 それは、次回に。

 

(文:清尾 淳)