Weps うち明け話 文:清尾 淳

#808

始動

 2014シーズンのチームが始動した。
 1月14日には新ユニフォームと背番号の発表、新戦力の加入記者会見がファン・サポーター公開で行われ、翌15日には調神社での必勝祈願、その後に大原で初練習を行った。例年ならこれで終了だが、今年は夕方から橋本代表退任、代表交代の記者会見があった。

 14日の記者会見が公開で行われたのはレッズとしては画期的なことで、おそらく恒例になっていくのだろうが、公開にすることが発表されたのは10日(金)。勤め人にとっては、正月休み明けで、さらに3連休の次の日も休みます、とは言い出しにくいタイミングだっただろう。「公開にするなら日にちを早く決めて発表して欲しい」という声が大きくなることは間違いなさそうだ。
 ただ、会見出席者のスケジュールなどの問題で、どこまで早く確定できるかわからない。今回も早くから1月14日に記者会見というのは内定していただろうが、移籍選手の確定などギリギリまで発表するのを待っていた感がある。
 公開記者会見が恒例になったらなったで、少し難しい問題も出てくるかもしれないが、一歩前進というふうに思いたい。

 新ユニフォームはシンプルなイメージだが、赤ユニにサインを寄せ書きしてもらうときは、ちょっと困るかも。金色ペンを使うしかないか。
 セカンドユニフォームの袖が黒くなったのは斬新で、締まって見える。だがサードユニが黒だから、3着並べると全体に黒い印象になる(それが悪いとは思わないが)。
 一昨年のサードユニも黒だったが青が強すぎて、青ユニのイメージだった。今回は正真正銘の黒だ。これまでどおり、オレンジ系ユニのチームとのアウェイ戦で使われるのだろうか。
 ピッチで見て思ったのは、セカンドユニの背番号が見にくいこと。昨年のアイボリーも、スタンドから番号を見分けるのが簡単ではなかった。僕の老眼のせいだけではない。そこは改善して欲しかったので残念だったが、関係者に聞くと14日に披露した背番号からもっと濃くなるはずだという。それに期待したい。

 ピッチ上で黒ユニを着ている関根貴大を見て思い出した。
 関根が、公式戦前座のボーイズマッチで、FC東京むさしの中学1年生チームと対戦したのが2008年7月5日。これが“埼スタデビュー”だった。6年後の彼らを想像し、そのころ自分は何をやっているだろうかとも思ったが、今回プロになった関根を、またレッズの広報活動に関わる者として迎えることができたのは本当にうれしい。
 記者会見の後、関根はユースの同期たちについて、こう語った。
「自分の力だけでプロになれたわけではなく、仲間たちがいたから。大学に進む仲間たちもプロになるのを諦めてはいないはずで、彼らに負けないように、自覚と責任感を持ってやりたい」
 レッズには、宇賀神や阪野の良い例がある。4年後を目指す仲間たちの目標に、関根自身がなって欲しい。

 15日は、調神社にチーム、クラブスタッフが集まり、必勝祈願を行った。僕は調神社の階段を昇ってくる選手たちの表情を見るのが好きで、いつも正面から見えるところで待ち構えている。代表派遣中の矢島と、1月1日まで公式戦を戦っていた西川を除く22人がスーツ姿(関根は高校の制服)で現れたが、すぐに社殿に入るとはいえ、この冬一番という寒さの中、コートを着ている者はおらず、ベストやセーターを着込んでいる者も少数だった。

 今年も始まる! という気持ちになる瞬間を味わった後は大原へ。練習初日から紅白戦もみっちりあり、シーズン中の練習とほぼ同じメニューに見えた。違うのは、プレーする選手が21人しかおらず(マルシオは室内)、ボランチの1人をフリーマンにしていたことか。選手は始動前によく準備をしてきたようだ。
 いろいろな意味で今季は「優勝」という二文字がクローズアップされる。「目標」という言葉の意味は広く解釈されることもあるが、今季のレッズにとって、昨年、一昨年よりも重みを持ったものになることは間違いない。そんなことを考えながら紅白戦を見ていた。

 そして17時から、橋本代表の記者会見が行われ、2月1日からクラブの経営陣トップが交代することが明らかになった。
 振り返ると橋本さんは、歴代(橋本さんで七代目)の中で最も長くレッズの代表を務めた人になった。就任当初は「サッカー素人」という言葉も投げつけられた。この交代については今後深く取材する機会がありそうだが、今の時点でこれだけ言っておきたい。
 橋本さんは、「サッカー素人」だったかもしれないし、今も戦術的な分析をやれとか、指導者になれというのは無理だろう。だが浦和レッズに関しては、バリバリの「玄人」だと言っていい。橋本さんが、そんな人になっていったのも、浦和レッズの力、だと思う。

 非常に濃い2日間で、これに伴うスケジュールの変更や追加がたくさんあり、帰宅してからドッと疲れを感じたのは、日中寒くて身体を縮こまらせていたせいだけでも、年齢のせいだけでもないと思う。
 さあ、僕も本格的にエンジン始動、と思っていたら、今朝になって「李忠成が完全移籍」の発表。この記者会見もあるし、カレンダーがだいぶ黒くなった。
 今日はレッズレディースの始動日だ。
EXTRA
 レッズのリーグ戦で、ジュニアユースのU-13チームが、対戦相手の下部組織と前座試合のボーイズマッチを行うようになったのは、2004年。原口たちの年代からだ(直輝は小学生時代に北浦和少年団で出たことがある)。
 関根に訊くと、2008年は7月5日のFC東京戦以外に、川崎フロンターレ、横浜F・マリノスとも対戦したという。横浜戦で関根がハットトリックしたのを覚えている人はいるだろうか。
「初めて出たときは3分で息が上がっちゃいました」とウルトラマンのようなことを言う。サポーターもかなり大勢入っていて、相手のファウルにはブーイングも飛ぶなど、初めての環境で緊張してしまったのだろう。6年後はレッズの選手としてここに立ちたいと思ったのか、と尋ねると「そこまで考える余裕は…。でも勝った後、スタンドに向かってみんなで万歳をしたときは最高に気持ち良かったです」と答えた。
 そう。サポーターと勝利を確認し合うときの喜び。それを味わうために頑張ることは、プロになっても変わりはないんだ。


関根貴大が“埼スタデビュー”した2008年7月5日のボーイズマッチ
(FC東京むさしU-13戦)

(2014年1月16日)

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