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Weps うち明け話 #1153

「優勝の翌年は途中解任」がなかった理由~2022シーズンの話・2(2022年12月22日)

 

 今日、レッズオフィシャルの「サイトメンバーズ」に、オフィシャルライターの菊地正典さん、レッズトゥモロー編集長の矢内由美子さん、そして僕の3人で、今季と来季の浦和レッズを語ったものが掲載されるはずだ。そこで話したこととダブるが、もう少し詳しくここで言うことにする。

 

 #1152の「レッズは、主要タイトルを獲った監督が、翌年指揮を執らない、または翌年途中解任になってきた」というのは、ジンクスとかそういうものではなく、ギド・ブッフバルト監督を除いては、クラブの計画性のなさが要因の一つだと思っている。もちろん、引き金になったのは成績の低迷、というもう一つの要因もあるのだが。

 

 2017シーズン、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督は20試合を終えて勝ち点29で解任されている。2018シーズンの堀監督が解任されたときは、5試合を終えて勝ち点2。2019シーズンのオズワルド・オリヴェイラ監督は13試合を終えて勝ち点17という時点で解任された。

 2022シーズンのリーグ戦は、16試合を終えて2勝9分け5敗、勝ち点15だった。上記の「引き金」になっておかしくない数字だ。

 

 今日の鼎談で矢内さんは「ACLのノックアウトステージが残っていたというのがシーズン途中の監督交代を避けられた理由かもしれませんね」と語っている。それもあるかもしれないが、ミシャもACLでベスト16まで進んで、準々決勝以降を残していたのに解任されている。今回のグループステージは、グループ2位の中での成績上位で突破できたもので、言わば薄氷の勝利だったことを思えば、微妙な評価になるかもしれない。もちろんJリーグ連覇中のクラブが突破できなかったほどの厳しいラウンドを勝ち抜いた、とも言えるのだが。

 

 2017年からの3シーズンと今季の違いは、中期的な計画の有無だ。2019シーズンまでは、中期的な計画は特に打ち出されていなかった。毎シーズン、タイトルを狙うことは掲げられていたし、実際に3年連続で何らかのタイトルを獲ってはいるが、その監督が翌年途中で解任されるのは、計画性がなかったからではないかと思う。

 

 だが、歴史的に見ればすべてのことには意味がある。

 2017年からの3シーズンを教訓として、クラブは強化体制を一新し、2020年からの「3年計画」をうち出した。2002年からの「3か年計画」以来の中期計画だった。18年前も、1999年の降格、2000年のギリギリ昇格、2001年の仕切り直しの失敗という3シーズンがあって、強化体制の一新と「3か年計画」が出されたのだった。

 

 経緯と名前は似ているが、2002年からの「3か年計画」は、チームを強くするために基礎から構築し直す、というもので、サッカーのスタイルや選手の規範などについては監督に任された。

 今回は、前提として2017年から2018年にかけて、クラブ内でかなりの議論がなされ、選手の理念も含めた「浦和レッズの理念」が策定されていたということがある。それを、よりチーム強化の分野に落し込んだものが2020年からの「3年計画」と言えるだろう。まずクラブが定めたサッカーのスタイルありきで、監督の選定や選手の獲得もそれに基づいて行い、さらに始まってからも計画の内容に厚みを加えて行ったところが大きな違いだ。

 

 リカルド監督がシーズン前半で解任されなかった理由だけを語りたいわけではないが、2020シーズンは「3年計画」に触れないでは語れないと思っている。

 ということでまず「3年計画」を少し振り返る。

 

 たぶん、明日。

 

(文:清尾 淳)