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西野努「神戸大で何が悪いねん!」

第一部 神戸大学出身のJリーガー

④ 「やっぱり4年間やるわ」

 西野が入学したとき、神戸大学のサッカー部は関西学生リーグの2部に所属していた。

 部員は約100人。監督はOBの会社員なのでふだんはいない。月曜を除く毎日、夕方3時間程度練習していた。

 家に帰ればかなり疲れが残る。それでもサッカー部を辞める部員はほとんどいなかった。その代わり、ほとんどの部員が大学を留年していた。

 税理士の父親が経営する会計事務所に入る、という決意が固く、2年生でサッカーをやめるつもりでいた西野だったが、思わぬ道が開けた。

 西野が2年生の秋のリーグで神戸大が優勝。翌年から関西学生1部リーグで試合ができることになった。西野もすでに主力メンバーの一人だった。

(1部でやるんか。すごいな…)

 1部リーグと2部リーグでは、環境や待遇に天と地ほどの差があった。1部ではまず試合はすべて芝のグラウンド。パンフレットに全選手の顔写真が載る。ローカルテレビで試合のダイジェストが毎週放送される。2部の選手にとって、1部リーグというのは憧れだった。

「2年でやめようと思ってたけど、サッカー続けようと思うんや。在学中に資格を取るのは無理やけど、卒業したら専門学校か大学院に行って取るさかい」

 奈良の実家に帰って家族にうち明けた。

「4年間やりたいことやってええで」

 父親もこれを快諾し、西野の進路はこの時点でちょっぴり軌道修正された。

 大学4年の春のリーグで神戸大は3位になり、西野は関西選抜に選ばれた。

「うそ!」

 大学の地域選抜対抗戦では優秀選手に選ばれ、引き続き東西対抗学生オールスター戦にも出場した。東軍には、そのころから有名だった相馬直樹(早稲田大=のち鹿島アントラーズ)、池田伸康(同=のち浦和レッズ)、三浦文丈(筑波大=のち横浜マリノス)らがいた。

 それまで全国大会に出場したことのなかった西野が初めてトップレベルの世界に触れたその後、さらに驚くことが待っていた。

「西野くん、今度大阪でプロチームになる松下電器の者だけど、しばらくうちの練習に参加してみないか」

(続く)

 

(文:清尾 淳)