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西野努「神戸大で何が悪いねん!」

第二部 9年間、闘ってきたもの

① 「ポキン」と音がした

 1993年11月11日。大原サッカー場は冷たい雨が降っていた。

 

 レッズは前日、サンフレッチェ広島に敗れ8連敗。第2ステージは2勝9敗と大きく負け越していた。チームを立て直す間もなく明後日には名古屋グランパスエイト戦が控えていた。

 西野努ら、広島戦に出場したメンバーは軽いランニング程度で練習を終わり、ほかの選手は通常の練習で、ミニゲームをしていたが、誰かが軽く足をひねって離脱し、人数が合わなくなった。

「おーい、西野。入ってくれ」

 西野は前節、後半からの途中出場だったので、ランニングが終わってもクラブハウスに引き上げず、1人でキックの練習をしていたところだったが、コーチに呼ばれてミニゲームに加わった。

 

「あ、痛!」

 左足首に激痛が走った。スライディングのとき、左足のつま先が芝に引っかかり、足首をひねったまま体重をかけてしまったのだ。

 

 ポキン、という音がした。

(やってもうた…)

 これまで骨折の経験がない西野だったが、その音と感触で、自分の足の骨が折れたということはすぐにわかった。痛みには強い方だったが、骨折という事実にショックを受けた。

リーグ戦18試合に出場

1993シーズン、西野はリーグ戦18試合に出場した

 

 当時、西野は先発、途中出場、ベンチどまりなど、試合によって出番があったりなかったりだったが、16人のメンバーには毎回入っており、Jリーガーとしての実績を積みつつあった。

(2~3か月はかかるやろな。せっかくレギュラーに近付いてきたのに)

 仲間に抱えられて病院へ向かう車に乗りながら、チームを長期間離れることへの不安に襲われていた。

 天候などコンディションが悪いこともあり、練習はそのまま終了。森孝慈監督が運転する車で、西野は浦和市内の整形外科に運ばれた。レントゲンの結果、左足ひ骨骨折。都内の病院に移り、そこで手術を受けることになった。1か月の入院。その後、リハビリというスケジュールが組まれた。

 西野のケガとの闘いは、これが始まりだった。

(続く)

 

【メモ】

西野努(にしの・つとむ)1971年3月13日、奈良県生駒市生まれ。県立奈良高校から神戸大を経て93年にレッズ加入。DF。加入1年目にJリーグデビューを果たしたが、その後骨折により約1年半のブランク。95年に復帰した後も出場機会は少なかったが、97年からレギュラーとして復活した。2001年を最後に現役引退。スカウトなどクラブスタッフとして活動。その後、イギリス・リバプール大学に留学しMBA(経営学修士)を取得。以降はOBとしてレッズと関わりながら、スポーツビジネスに取り組み、会社経営、大学の客員教授など多方面で活躍してきた。2019年12月、チーム強化の実務を担当する、浦和レッズ・フットボール本部テクニカル・ダイレクターに就任した。

 

(文:清尾 淳)