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西野努「神戸大で何が悪いねん!」

第二部 9年間、闘ってきたもの

⑩ ケガと闘うのもプロ

 2001年9月。浦和レッズは突如、チッタ監督の辞任を発表した。後任には8月からコーチとして来ていたピッタ氏が座った。

 西野はその交代劇のとき、まだ練習に復帰していなかった。

「なんでや、おれがケガしとると監督が替わるな」

 99年、原博実監督が解任されたときは右足を骨折していた。

 97年、左肩脱臼で手術したとき、ケッペル監督のシーズン限りでの解任が発表された。

 93年は、左足骨折で入院していたとき、森孝慈監督が辞意を表明した。

 監督が替わっても、西野のやることは変わらなかった。肩の筋肉を鍛えながらリハビリ。ようやく練習に合流し、Jヴィレッジでの合宿に参加していたとき、練習中に足の指を踏まれた。我慢して続けていたが、また同じ箇所を踏まれた。調べてみると骨折していた。これで試合出場は絶望的になった。

引退を決意

2001シーズンのリーグ最終節で場内を一周する西野。

この後、引退を決意した

 

 リーグ戦が終わって、クラブから来季の契約をしない旨を通告され、悩んだ末に現役引退を決意した。最後の試合になったのは、右肩を脱臼した2001年8月25日のサンフレッチェ広島戦だった。

 現役生活9年間で両足を骨折し、両肩を脱臼した西野。ケガをするたびに身体の仕組みを勉強し、自分の身体に十分なケアをしてきた。一方、大して身体の管理をしていないのに大きなケガを一切しない選手もいた。

「おれのほうが、よっぽど練習しとるのにな」

 納得しがたい悔しさを感じながら、それをバネにして西野は身体を鍛えてきた。しかし年齢が進むにつれて、こう思うようになった。

「ケガをしないのもプロとしての才能のうちかもしれん」

 引退後、西野はクラブのスタッフとしてスカウト業に励んでいるが、若い選手が大きなケガをすると、やはり気になる。特に治療やリハビリの手伝いをするわけではないが、こう声をかけている。

「ケガとの闘いも試練やで。試練を乗り越えて本物のプロになっていくんや」

(第二部終わり)

 

【メモ】

西野努(にしの・つとむ)1971年3月13日、奈良県生駒市生まれ。県立奈良高校から神戸大を経て93年にレッズ加入。DF。加入1年目にJリーグデビューを果たしたが、その後骨折により約1年半のブランク。95年に復帰した後も出場機会は少なかったが、97年からレギュラーとして復活した。2001年を最後に現役引退。スカウトなどクラブスタッフとして活動。その後、イギリス・リバプール大学に留学しMBA(経営学修士)を取得。以降はOBとしてレッズと関わりながら、スポーツビジネスに取り組み、会社経営、大学の客員教授など多方面で活躍してきた。2019年12月、チーム強化の実務を担当する、浦和レッズ・フットボール本部テクニカル・ダイレクターに就任した。

 

(文:清尾 淳)