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- サッカー人生ハーフタイム
西野努「神戸大で何が悪いねん!」
第二部 9年間、闘ってきたもの
② 見舞いはありがたいけど…
西野努は、大学を卒業するまで骨折はおろか肉離れもしたことがなかった。
それが日本のトップリーグに出場し始め、これまでとは比べものにならないほどの負荷が身体に加わった。その疲労が溜まっていたこともあったのだろう。
西野が入院した都内の病院は9人部屋だった。整形外科の患者は、ケガの箇所以外はだいたい元気だから、部屋はにぎやかだったが、当時「浦和レッズの西野努」に気づく人はいなかった。それは、ある意味でありがたかった。同室の患者と口をきくこともほとんどなく、孤独に過ごしていた。
そんなある日。
「こんにちは」
「あ」
ファンの女の子が病室に立っていた。手術の日に川崎から姉が来てくれた以来、チーム関係者以外では初めての見舞い客だった。
(チームは病院を教えへんはずやのにな)
選手のだれかから聞いたのだろうか、彼女はその後もやってきた。
3回目に西野は思いきって言った。
「来てくれるのはありがたいけど、チームの規則で関係者以外には病院を教えないことになってるんです。申し訳ないけど、今後は遠慮してもらえないでしょうか」
規則云々だけではなく、スポーツ選手として一番見られたくない姿をさらすのが、耐えられなかったのだ。
彼女は泣きながら病室を出て行った。
1か月で退院、その後は選手寮から新橋の病院までリハビリに通った。当時のレッズは練習場にトレーニングの器具もなければ、リハビリ専門のトレーナーもいなかったのだ。
医者からリハビリメニューをもらって自分でやるしかなく、早く治したいという焦りが手伝って、ついつい決められた以上のことをやってしまうことが多かった。
リハビリ以外では、栄養学、メンタルトレーニング、人間の身体、といった役に立ちそうな本を手当たり次第に読んだ。
そうこうするうちにプロ選手として初めての正月を迎えた。
「早くしたいなあ」
サッカーを求める気持ちは、臨界点を迎えていた。
(続く)
(文:清尾 淳)