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- サッカー人生ハーフタイム
西野努「神戸大で何が悪いねん!」
第二部 9年間、闘ってきたもの
③ 「プロの身体に改造や!」
1994年1月。レッズはシーズン開幕前に、オーストラリアのシドニーへキャンプに出かけたが、西野努はひとり大原サッカー場でリハビリの毎日だった。
前年、リーグ戦の半分である18試合に出場したから、新人の1年目より年俸はアップしそうなものだったが、ケガのため現状維持。
「しゃあない。また一から出直しや」
2月に、骨を固定していた金具を抜く手術。4月に練習に合流。5月にサテライトリーグの試合に出場。復帰のプロセスはどんどん進んでいったが、それと並行して西野にはやることがあった。
「俺の身体は、このままやとプロでは通用せん。改造しよう」
レッズに入ったときから、本当にプロでやれるのか自分に不安を持っていた。その不安がまずフィジカル面で的中してしまったのだ。
最初に人間の身体の仕組みを勉強した、トレーナーに聞き、本を読み、自分に足りないところを補う方法を考えた。
気功もやった。精神面を鍛えるために、メンタルトレーニングの指導会社と個人的に年間契約を結んだ。アドバイザーからは「常に強気でいろ」と言われた。グラウンドの上では自分が主役。その気持ちが一番足りないものだった。
身体を鍛えるための筋肉トレーニングももちろん勤勉にやったし、とにかく食べた。ひととおりの食事を終えてから丼一杯のご飯。さらにプロテインドリンク。食事の時間が苦痛になるほどだった。
体重は93年から97年にかけて5キロほど増えた程度だが、身体は目に見えてがっしりしてきたし、何より顔つきがたくましくなってきた。
1997シーズンはJリーグ初ゴールを挙げた(4月16日、清水戦)
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94年からの3年間はベンチ入りもあまりなかった西野だったが、97年にいきなりチャンスをつかんだ。
第2節の清水エスパルス戦で交代出場し、セットプレーからその試合の決勝点となる、Jリーグ初ゴールを決めたのだ。以後、先発出場が続き、ほぼレギュラーで試合に絡み始めた。第5節・セレッソ大阪戦でもゴールを挙げ、レッズ加入以来、最良の時期が続いていたと言ってよかった。
しかし、好事魔多し。
衝撃は9月6日、三ツ沢球技場で行われた横浜フリューゲルス戦でやってきた。
(続く)
(文:清尾 淳)