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- サッカー人生ハーフタイム
西野努「神戸大で何が悪いねん!」
第二部 9年間、闘ってきたもの
④ 左足の次は左肩
1997年9月6日、第2ステージ第10節。横浜フリューゲルス戦の後半30分過ぎだった。
「痛え!」
相手の服部浩紀選手とすれ違ったとたん、西野は左肩を押さえてうずくまった。
これまで経験のない痛み。どう動いてもやわらぐことはなかった。
ドクターが来た。
「脱臼だな」
左肩の関節が外れていた。相手とすれ違いざま、左手がひっかかり、そのままの勢いで後ろへ引っ張られたのだった。
脱臼の、経験はもちろん知識もあまりなかった西野は不安だったが、ドクターはあっさりと肩を入れてくれた。
脱臼の場合、3週間患部を固定するのが普通だ。しかしチームはリーグ戦の最中で、西野は主力としてなくてはならない存在になっていた。
「西野、出てくれ」
当時のケッペル監督は出場を要求した。西野も初めてレギュラーとして期待されたシーズンだったから無理をしても出たかった。
「出ます」
2試合は何ごともなく過ぎた。
9月24日、柏レイソル戦。前半の終わりごろ、後ろからタックルを受けた西野は左肩からピッチに倒れた。
(やった)
覚えのある痛みが左肩を襲った。
前回は医師の診察を受けなかったが、今回は病院へ行った。
「1回だけで終わっていたら治っただろうけど、2回目をやったらすぐに3回目も来るよ。そうしたら手術するしかない。どうせなら今のうちにしたら?」
医者はそう勧めたが、リーグ戦3試合とナビスコカップの決勝トーナメントが残っているし、その後は天皇杯も控えている。いま手術はしたくない。
「天皇杯が終わってから手術しても、来年の開幕には間に合うな」
そう判断して、プレーを続けた。
リーグ戦3試合のうち2試合、ナビスコカップ2試合に出場して、ワールドカップフランス大会アジア最終予選による約2か月の中断をはさんだ12月14日、天皇杯の初戦を迎えた。
相手は同じ埼玉のNTT関東(現・大宮アルディージャ)。この試合の前半18分に西野が交代退場した記録が記されている。
恐れていた3回目がやってきたのだ。
(続く)
(文:清尾 淳)