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- サッカー人生ハーフタイム
西野努「神戸大で何が悪いねん!」
第二部 9年間、闘ってきたもの
⑤ 手術して良かった
1997年12月14日、駒場スタジアムで行われた天皇杯3回戦。相手はアマチュアのNTT関東(現・大宮アルディージャ)だった。
前半18分、相手と交錯した瞬間、西野努の左肩に激痛が走った。恐れていた3回目の脱臼。もうお馴染みになってしまった痛みより、今後のことが頭の中を占めていた。
(手術したら天皇杯はもう出られへんな。手術せんかったら、勝ち進めば出られるな。どうしようか)
ところが、前の2回とドクターが違っていたため、肩を入れるのに約30分もかかってしまった。ロッカールームで痛みをこらえているうちに、どうにも耐えられなくなってきた。
「先生、もう二度と外れへんようにしてください」
関節の部分を覆っている「関節胞(ほう)」という袋があるが、西野は左肩のその部分が破れており、外れやすくなっている。破れた部分を縫い合わせ、さらに少しきつめに固める手術だった。
1週間の入院で済むはずが、手術後の薬アレルギーを起こし、高熱が出た。結局、1か月半も病院にとどまり、体重が10キロも減ってしまった。
退院は翌98年の1月末。ちょうどチームの練習が始まったころだったがすぐには合流できず、2月途中からリハビリを始めた。復帰の目標は5月においていた。
1998シーズンは復帰以降レギュラーで活躍した西野
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レッズは監督が原博実に替わっていた。原監督は前コーチとして、西野にヘディングの特別トレーニングを施すなど、信頼関係は強かった。結局、西野の公式戦復帰は予定より大幅に早い4月15日。仙台で行われたコンサドーレ札幌戦だった。
肩は少し固かった。はずれないように少し締め付けた分、可動域が少し狭くなったが、普通の生活はもちろん、プレーにも支障はなかった。何よりぶつかっても倒れても脱臼の心配がなくなったのがうれしかった。
「思い切って手術して良かったな」
西野はその年、公式戦34試合、前年を上回る過去最多の出場を果たした。
(続く)
(文:清尾 淳)