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西野努「神戸大で何が悪いねん!」
第二部 9年間、闘ってきたもの
⑥ レギュラー定着、そして3回目
1998シーズンも骨折するまでは先発出場していた西野
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1998年、原博実監督1年目の西野努は、公式戦41試合のうち34試合に出場した。前年に行った左肩脱臼の手術から復帰したのが開幕から6試合目。欠場したのはその5試合と、日本代表候補合宿でじん帯を痛めて欠場した1試合、そして警告累積による出場停止が1試合だけだった。復帰後は完全にレギュラーに定着していた。いかに原監督の信頼が厚かったか想像できる。
それは翌年の出場記録を見ても同様だ。開幕から3試合はベンチや途中出場になっているが、第4節からは先発が続いている。
5月5日、駒場スタジアムで行われたセレッソ大阪戦までは。
雨が降っていた。
ここまで2勝4分け4敗の11位と低迷していたレッズだが、この日は2-1とリードしていた。
前半37分、相手の韓国人ストライカー、ファン・ソンホンに西野はタックルした。右足のつま先が芝に引っかかっておかしな曲がり方をしたが、勢いのついた身体は止まらなかった。
ボキッ!
(うわっ!やったか)
骨が折れたのは自分でもわかった。
(今度はどれくらいやろ)
ケガで2度の長期欠場を経験しているだけあって、すぐに復帰のことが浮かんだ。
1年以上、レギュラーの座を守ってきただけに、試合から遠ざかるのは残念極まりなかった。それ以上に、当時のチーム状況も気になった。
(チームがこんなときに申し訳ない)
この年から導入されたJ1、J2自動入れ替え制度。思うように勝点が伸びないレッズは常に危機感を持って試合に臨んでいた。それが多少無理なプレーにつながったことは否めないだろう。
右足ひ骨骨折。医師に相談した西野は考えた。
手術するか、しないか。手術した方が治りは早い。しかし西野は97年、左肩の手術の際に薬によるアレルギーを起こしている。今回もその可能性は十分ある。しかも2回目は症状が重くなりがちだという。
悩んだ末に、西野は手術せずにそのまま骨折の箇所を固める治療方法を選んだ。ふつうなら3~4か月で復帰できるはずだった。
(続く)
(文:清尾 淳)