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西野努「神戸大で何が悪いねん!」

第三部 メモリアルゲーム

② 人気に拍車かける初勝利

 レッズのJリーグ開幕5試合目。ホーム駒場競技場でのヴェルディ川崎戦は、1-1のまま延長でも決着せず、PK戦に持ち込まれた。森孝慈監督が指名したキッカー5人の中に、西野は含まれていなかった。

 5人で決着がつかなかった場合の順番もあらかじめ決めておくことがあるが、今回は何も指示がなかった。

120分出場

延長を含め120分間戦った西野(1993年5月29日/ヴェルディ川崎戦)

 

「もし、6人目の出番があったら、俺が真っ先に行ったろ」

 PKに自信がある訳ではなかったが、次か次かと待っているのはかえって嫌だった。

 しかし、その気遣いは無用だった。5人目のキッカーが出る前に、PK戦は4-2でレッズが制した。

 Jリーグ初勝利。ホームで後半追いつき、延長の末にPK勝ち。サポーターが沸かないはずはない。歓喜のスタンドに手を振りながら、いつか選手たちは駒場のトラックを一周していた。まるで優勝したかのようだったが、誰にも違和感はなかった。それほどみんなが待ち望んだ勝利だったのだ。

   *   *   *   

「あのシーズンは、あっという間に終わってしまった。一番覚えているのが、このヴェルディ戦」と語る西野。

「前の年まで、大学に行きながら深夜のコンビニと家庭教師のアルバイトを掛け持ちして、なんとか生活できていた。その環境が一変した」

 Jリーグの選手というだけで芸能人扱いされる。収入も同年代の若者に比べて格段に多い。そういう時代だった。その環境のなかで自分を見失い、才能ある選手が姿を消していった例も少なくない。

「僕も調子に乗せられやすいタイプだから危なかった。そうならなかったのはケガ(第二部)のおかげといえるかも。自分に何が足りないか教えてくれたから。ケガのたびに強くなっていったし」

 Jリーグ初勝利を挙げたヴェルディ戦以降、レッズの人気はさらに沸騰していった。Jリーグの選手なら誰でももてはやされるバブル人気は間もなく消えたが、レッズの人気は本物になっていった。

(続く)

 

(文:清尾 淳)