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- サッカー人生ハーフタイム
土田尚史「クリア!の声が聞こえる」
第一部 コーチ兼任から引退へ
② PK…、FK…、忘れえぬ2つのシーン
2000年11月19日、浦和市駒場スタジアム。勝てばJ1復帰が決まるJ2リーグ最終節で、浦和レッズはサガン鳥栖を相手になかなか点が取れなかった。選手の顔ぶれ、実績でいえば圧倒的に差がある相手に対してなかなかゴールを決められないのは、このシーズンの後半を象徴するような試合だった。
この日を最後に現役を引退する土田尚史は、ベンチの近くでいつも以上に気を揉んでいた。
「大丈夫。負けるはずがない」
後半開始早々、とうとうレッズに点が入った。
「よし、これでいける」と喜びながらも、「いや、まだまだ」と自分を抑える土田。試合はまだ44分間も残っている。
その危惧は当たった。土田の日焼けした黒い顔が青ざめていくのに時間はかからなかった。
まず後半7分、相手のロングキックをヘディングで返そうとしたDFの西野努がGKの西部洋平と交錯し、ボールを自分のゴールに向けて弾いてしまう。飛び出していた西部は帰れず、ボールはそのままゴールイン。最後に触った鳥栖の選手の得点と記録されたが実質的なオウンゴールである。
最も大事な試合でプロとは思えないミス。土田は我が目を疑った。
「次だ、次!」
こう叫ぶしかなかった。試合は流れている。起こしてしまったミスをどうこういうより、とにかく次のプレーに移ることが何より大事だ。1-1の同点で試合が振り出しに戻っただけなのだ。
しかしレッズの試練は終わらなかった。
後半19分、鳥栖にPKを与えてしまい、さらにそのファウルを犯したDFの室井市衛が退場になってしまう。
このPKを決められたら1-2となり、残り20数分間を1人少ない状況で戦うことになる。レッズの昇格に赤信号が点滅し始めた。
鳥栖のブラジル人FWルシアノによってPKのボールがセットされる。両手を広げて構える西部。
土田はベンチの横で両手を握っていた。
(はずせ。止めろ。どっちでもいい。とにかく入るな!)
祈るしかなかった。
ルシアノがシュート。ボールはゴールポストに当たって、再びルシアノの前へ。またシュート。今度はバーを越える。
「オーケー! オーケー!」
ルールでは、PKを蹴った選手は、他の選手が触れる前に再びボールに触れてはいけない。ポストに跳ね返ったボールをルシアノがもう一度蹴った時点で、レッズの間接FKとなっていた。しかし審判以外に、それに気づいた者はあまりおらず、駒場スタジアムを埋める2万人のファン・サポーターも土田も「2回続けてミスしてくれた」と思い込んでいた。
閉まりかけたJ1への扉は寸前で止まった。しかし事態は良くない。得点は1-1。レッズが相手より1人少ない10人で戦わねばならないことは変わっていない。このまま引き分けに終わればレッズのJ1復帰は、他会場の大分トリニータ対大宮アルディージャ戦で大分が引き分け以下の場合にのみ可能になるが、それは望み薄だった。
1人少なくても守備に重心を置くことで失点しない戦い方をすることはできる。しかし、それは自らの得点の可能性も低くすることになるから、引き分けでも良い、という場合だ。この日のレッズにとって、引き分けは負けと同じ。それも1年分の負けに等しいことだった。
「大丈夫。俺たちは絶対に負けない」
土田は自分に言い聞かせた。そう確信してチームに声を掛け続けた。
延長前半5分。FKのチャンス。セットプレーには人数の不利があまり影響しない。キッカーは直接ゴールも期待できる阿部敏之。土田はこの日二度目の祈りに入った。
J1復帰を決定するVゴールを挙げた土橋に覆いかぶさる 選手とスタッフたち(2000年11月19日) |
ゴールに向かって右から、やや低い阿部のキックが相手の壁に当たった。ボールは逆サイドに転がり、その先には土橋正樹がいた。そしてセットプレーのこぼれ球を狙う練習どおりのシュート。
そのシーンを土田は生涯忘れないだろう。
やや山なりのボールは相手GKの手を越え、そのままゴールネットに吸い込まれた。
Vゴール。試合終了。レッズの勝ち。J1復帰。
自分が何をしたか覚えていない。気がつくと土田はチームメートと一緒に土橋に覆いかぶさっていた。自分の引退のことも完全に忘れていた。
(続く)
【メモ】
土田尚史(つちだ・ひさし)1967年2月1日、岡山県岡山市生まれ。岡山理大附属高からサッカーを始め、ゴールキーパーに。大阪経済大時代には日本代表にも選ばれた(Aマッチ出場はなし)。89年三菱入りし、92年の浦和レッズ発足時には正GKとなった。J1リーグ通算134試合出場。2000年を最後に現役を引退し、2018年までコーチ、またはGKコーチを務めた。2019年にクラブスタッフとなり、11月、チーム強化の責任者となるスポーツ・ダイレクターに就任した。
(文:清尾 淳)