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土田尚史「クリア!の声が聞こえる」

第一部 コーチ兼任から引退へ

④ 兼任コーチってどういうこと?

 土田尚史と妻の江美子さんは、三菱重工時代からの付き合いで、土田が活躍しているとき、ケガと闘っているとき、レギュラー争いをしているとき、いつも江美子さんは見てきた。99年、土田がケガのために試合に出られず、残留争いをしているチームの力になれないことを苦しんでいる姿も目に焼き付いていた。

 2000シーズンを迎えるときに、江美子さんは心に決めていた。

(もしかして、今年が最後になるかもしれない)

 プロスポーツ選手の妻として、夫がいつか引退するという覚悟はある。今年が最後になってもいいから悔いのないように精いっぱいやって欲しい。

 夫には言わなかったが、そう思っていた。

 

新加入選手の記者会見が行われ、

2000シーズンがスタートした(2000年1月30日)

 2000年1月11日。初めてJ2リーグに臨む浦和レッズが始動した。例年より約2週間早いシーズンインだった。

 同日、斉藤和夫新監督、吉田靖・名取篤コーチの就任記者会見があった。三者が抱負を述べた後、記者が質問した。

「GKは誰が指導するんですか」

 斉藤監督が答えた。

「土田にやらせようと思ってますけど」

「選手兼コーチ、ということですか」

「そうです」

 

 その答えは記者たちを少なからず驚かせた。土田はその前年、ケガのために出場機会はなかったが、れっきとした選手。Jリーグでは監督・コーチが選手を兼任することが認められていないにも関わらず、兼任コーチとはどういうことだろうか。

 会見後、記者の間でやり取りがあった。

「実質的に、選手として考えていないということかな」

「いや、4人のGKの中で最古参の土田に練習のリーダーシップを取らせようということだろう」

「それなら、わざわざ兼任コーチと言うことはないだろう」

 長い間、レッズを取材してきた記者も、このシーズンの土田がどういう立場になるのか、予想がつかなかった。そして当の本人も確固たる見通しはなかったのだ。

 

 記者会見の数日前、土田は横山謙三ゼネラルマネジャー(GM)からの電話を受けた。斉藤監督がGKコーチを土田に兼任して欲しいと言っている、という内容だった。江美子さんが聞いた。

「どういうこと?」

「わからない。とにかくクラブに行ってくる」

 詳しい話を聞いてもはっきりしなかった。

「兼任といっても、練習メニューを組んだりするだけだと思うよ。選手として契約してるんだし」

 横山GMも「あくまでプレーヤーなんだから、頑張れば試合に出られる」と言っていた。土田自身そう思っていた。しかし本格的に練習が始まると、その気持ちに変化が生じてきた。

 練習内容を決めて、それをほかのGKにやらせる。指導している自分が同じメニューをこなすことは簡単ではない。

「こりゃ、中途半端にはできんな」

 兼任コーチを断わるか、実質的に専任コーチとなる決意をするか。土田は自分の中で選択を迫られた。

 そんな中、2月14日から鹿児島県指宿市で合宿が始まった。

(続く)

 

【メモ】

土田尚史(つちだ・ひさし)1967年2月1日、岡山県岡山市生まれ。岡山理大附属高からサッカーを始め、ゴールキーパーに。大阪経済大時代には日本代表にも選ばれた(Aマッチ出場はなし)。89年三菱入りし、92年の浦和レッズ発足時には正GKとなった。J1リーグ通算134試合出場。2000年を最後に現役を引退し、2018年までコーチ、またはGKコーチを務めた。2019年にクラブスタッフとなり、11月、チーム強化の責任者となるスポーツ・ダイレクターに就任した。

 

(文:清尾 淳)