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土田尚史「クリア!の声が聞こえる」
第四部 レッズの闘将たち
④ 2年連続の引責退任
土田尚史は横山謙三に、GKとしてのあらゆることを、あらためて教えられた。
「なぜ手のひらを相手のほうに向けるのか。なぜこの場面ではサイドステップではなくクロスステップなのか。なぜここでコーチングが必要なのか」
理論的に指導され、多くの物を吸収していった。
横山のサッカーの特徴は、守りをしっかりした上で、サイドからの攻撃を重視するシンプルなものだった。そのため相手ゴール前には長身FWを置くことが多かった。
前年とはかなりメンバーも入れ替えて臨んだ1994年だったが、思うように勝ち星にはつながらず、第1ステージはまたも最下位に終わった。土田はこの年の第1ステージ全ての試合に出場していた。
横山はこの夏、守備を強化するために、ドイツから代表DFのギド・ブッフバルトを獲得した。つい先日まで行われていたアメリカ大会も含めワールドカップに3大会連続出場し、1990年のイタリア大会では優勝という輝かしい成績の持ち主だった。
それに先立ち攻撃的MF、ウーベ・バインもレッズに引き入れた。魔法のような左足から繰り出されるパスは、味方FWが最もコントロールしやすい位置へ正確に落ちた。
2人の大物助っ人の加入で第2ステージはひと味違うレッズになるはずだったが、1年半で染み付いた“負けぐせ”は簡単には抜けなかった。第1ステージの6勝16敗12位(最下位)に比べ、8勝14敗11位と多少の前進はあったものの、強くなった印象は無かった。
横山謙三氏は1シーズンでレッズの監督を退任した |
リーグ戦に続いて行われた天皇杯では前年の2回戦敗退から一歩進んでベスト8に進出したが、準々決勝でセレッソ大阪に敗れた。横山は最後の試合で、博多まで応援に来てくれたサポーターに、「ありがとうございました」と、ふかぶかと頭を下げた。すでに退任を覚悟していた。
「この人に責任を取らせていいんだろうか」
実際に試合をしたのは自分たちだ。2年連続で成績が悪い責任で監督が辞める、ということに土田は選手としてつらさを感じた。横山も前任者の森と同様、選手のことを外に向かって悪く言わない人だったから、土田はよけいに複雑な気持ちだった。
(続く)
(文:清尾 淳)