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土田尚史「クリア!の声が聞こえる」

第四部 レッズの闘将たち

⑤ 初の外国人監督・オジェック

初の外国人監督

レッズ初の外国人監督、ホルガー・オジェック氏

 

 1995年、浦和レッズは初めて外国人監督を招聘した。ドイツ人、ホルガー・オジェック氏(以下、敬称略)。1990年ワールドカップ・イタリア大会で優勝した西ドイツ代表チームのアシスタントコーチだった。

 土田尚史がこの新監督の顔を初めて見たのは、1月22日、埼玉大学のキャンパスで行われたファン感謝デー、レッズフェスタのときだった。

「どっちが監督だ?」

 同時に就任した、デンマーク人のオーベ・フリントコーチと区別がつかなかった。

「そうか、怖い顔のほうか」

 外国人監督は初めての経験。新鮮な気持ちがした。

 レッズフェスタの翌日から練習を開始したが、オジェックは選手を集合させるといきなり11対11の試合を始めたのだった。

 オジェックは選手一人ひとりの役割をはっきりさせた。その上でグラウンドの中での約束事を決め、それに合わないプレーをしたときは選手を厳しく叱った。試合の敗因が選手にあるときは、個人名は挙げなかったが、マスコミに対してそうはっきりと言った。

 ある敗戦の翌日、ミーティングでオジェックは「昨日の試合で、2人だけ一緒に戦っていなかった者がいる」と述べたが、その言葉はその日の新聞にすでに載っていた。

 常に選手に全力を出すことを求めた。

 5月10日、大宮サッカー場でガンバ大阪に勝ったときのことだ。試合は終了直前まで4-1だったが、笛が鳴る寸前に土田がやや油断して、ガンバに1点を返された。それでも4-2の快勝だ。引き上げてくる選手たち一人ひとりとオジェックは握手を交わしていた。ところが土田が手を差し出すとオジェックは伸ばしていた手をさっと引っ込めた。

「あ」

 その理由がわかっていた土田は黙ってロッカールームに入った。

(続く)

 

(文:清尾 淳)