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- サッカー人生ハーフタイム
土田尚史「クリア!の声が聞こえる」
第五部 ゴールキーパーとして
⑤ 「サッカーに技術いらへん」
1985年。土田尚史が入ったときの大阪経済大学サッカー部には、3年生と4年生のGKがいた。土田は3人目のGKとして入ったわけだが、すぐにレギュラー扱いになり、試合にも出場し始めた。
当時の大経大の監督は少し変わった人だった。
「サッカーにボールはいらん。気合と出足と根性。それさえあればサッカーはでける」「技術?そんなもんいらへん。気合があれば十分や!」
2年生の春、大経大は関西リーグの1部に昇格し、春のリーグの開幕戦を大阪商業大学と戦うことになった。大商大にはこの年、長崎の国見高校から高木琢也選手(その後、マツダ=サンフレッチェ広島、日本代表を経て指導者。現在は大宮アルディージャ監督)が入学していた。その試合前日のこと。
「おい、誰か脚立持ってこい」
監督が叫んだ。脚立が来るとゴールの近くに立てて、土田を呼んだ。
「よっしゃ、土田、ゴールマウスに入れ」
「何するんですか?」
不思議がる土田に、脚立に上がった監督が答えた。
「あのな、今度大商大に入った高木ちゅうやつはヘディングシュートがムチャクチャ強いらしい。その対策や。ほら、これに反応してみい!」
土田のメンタル面の強さは大学時代に培われた (写真は1994年)
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脚立の上から監督が投げるボールに土田は飛びついた。
GKのテクニックをこの監督から教わった記憶がない。
もっとも当時、日本にはあまりGKの専門的なコーチはいなかった。土田も自分で工夫して練習するしかなかった。そのときに持ち続けた「誰にも負けたくない」という思い。メンタル面の強さはこの監督から教わったのだろう。
土田が在籍した時期の大経大サッカー部は関西リーグの1部と2部を行き来していたが、ゴールキーパーとして、またサッカーマンとして、土田が最も成長したのは大学3年生の夏だろう。
(続く)
(文:清尾 淳)