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Weps うち明け話 #1021

考える機会(2020年4月10日)

 

 半ば予想していたことだけど、Jリーグの再開が再々々延期になり、今度は「5月末」とはされているものの「無期限」のニュアンスもある。それを受けてレッズの練習も無期限中断になった。

 国の緊急事態宣言が出され、首都圏がその対象になっている以上、仕方のない、というより当然の措置だと思う。Jリーグ再開のめどが立ったときに、そこから逆算して練習の再開も決まるだろう。

 まずは、この状況下の日本に暮らす者として、やるべきことをやり、やってはならないことを自らに戒める。選手であろうと監督であろうと、ファン・サポーターであろうと、誰もがそのことを求められている。

 

 今日で試合のない日が50日近く続き、録りためた映像の整理などをしていて試合関連のものがあると見入ってしまい、よけいに生の試合が見たい欲求が膨らんでしまうこともあるが、今は我慢することが新型コロナウィルスと闘うために自分ができることであり、ひいてはJリーグの再開にもつながることだと思って、こらえている。

 そういう中で、レッズについて書く仕事を与えられている僕は幸せだと思う。レッズの歴史を振り返ったり、今季の展開を予想したりすることで、レッズに関わっていられるし、書くことでファン・サポーターのみなさんと少しでもつながれている実感が湧くから。

 

 今日、考えてみたいのは、少し前に再開後のJリーグの運営方法について語られた「ビジターサポーター・ファンの入場制限」「自由席の指定席化」「応援禁止」さらには「無観客試合」についてだ。

 

 Jリーグが再開になっても、ウィルスの危険が皆無になっていなければ、何らかの予防措置が必要で、ゲートに入場者の体温を測るサーモメーターやアルコール消毒液を設置するだけでは足りないだろう。

 そこで挙げられていたのがまず、遠距離移動を伴うアウェイゲームには行かないように、という呼びかけだ。どこまでが遠距離かということもあるから、いっそビジターエリアをなくしてしまうということになる。

 また、あるクラブは自由席の指定席化を検討しているという。入場者を全体の半分程度に減らし、人と人との間を空けるということを原則にするならば、自由席で人が固まってしまったら意味がない。全席指定にして、そこから動くことを禁止すれば距離は保てる。

 応援は手拍子や拍手のみにして、声を出してのものは禁止ということも挙がっている。せっかく人と人を離しても大声を出せば、飛沫が周りに広がりやすいから、ということだ。

 そしてファン・サポーターの感染リスクをゼロにするためには無観客試合しかない。それでもクラブスタッフやスタジアム関係者および係員、両チームの選手、審判団にリスクは皆無ではないが、すべて主催者の目が行き届き、行動に関する指示が守られるはずの人たちだ。

 

 二つのことが言える。

 一つは、いずれもウィルス感染を拡散させないために有効な対策だろうということ。

 もう一つは、いずれもサッカーを質的に変えてしまうものだということだ。

 

 片方のチームを応援する人または中立の人だけがスタンドにいる試合。ある意味で「心地良さ」も感じるかもしれないが、その心地良さは「辛くない麻婆豆腐」みたいなものだ。Jリーグではホームとアウェイで有利不利の差があまりないと言われており、この措置により多少海外のリーグに近付くのかもしれないが、ビジターチームの選手にとって大勢の相手(ホーム)ファンの中で少数の味方サポーターと心を一つにして闘うというのもモチベーションになるし、ホームの選手にとってもちょうど良い刺激になっているはずだ。試合の質が変わってしまうというのは大げさではない。

 ちなみに「遠距離移動」ということで言えば、たとえば近隣にもビジターファンはいるだろうし、逆にホームチームのサポーターで遠距離在住者も少なくないはず。「ビジターサポ入場禁止」=「遠距離移動の防止」ではない、ということも言い添えておく。

 

 次に「自由席の指定席化」については、世間の人は「それはナイスアイデアだ」というだろう。

 かつてはイングランドのプレミアリーグが、フーリガン対策の一つとしてスタジアムを全席指定にしたと聞く。僕が彼の地でサッカーを観戦したのは、その後だったから自由席時代の雰囲気と比べてどうなのか、知りようがない。

 しかしJリーグに関して、いやレッズのスタジアムに関しては多くのことが言える。

 埼スタの北側自由席は約1万人収容で、これは埼玉県でいうと秩父郡皆野町、比企郡ときがわ町、児玉郡美里町の人口とほぼ同じだが、埼スタの自由席は、そういう行政単位の「町」と同じ、いや人と人との関係が希薄になっている現代において、ほかにはない「濃厚な」関係を生み出す「まち」なのだ。

 互いに接点のなかった人同士が、いつしか小さなコミュニティーを作り、コミュニティー同士が連携したり、ときには反発し合ったりという関係になっていく。コミュニティーによってはスタジアム外でも結束が強まっていく。

 また子どもは親や教師、親戚以外の、多種多様な大人と接することで成長の幅が広がっていく。コミュニティーの誰もが子どもの親であり兄姉として「教育」に携わっていく。たまには反面教師がいるかもしれないが、それも含めて社会のルールというものも見聞きして身につけていく。

 ほかにも自由席の特徴はあるが、上記に挙げたことは、全席指定では起こりえない。自由席は試合の大きな魅力の一つであり、やはり構成要件をなすものなのだ。

 

「応援禁止」「無観客試合」については言うまでもない。「#1017」でも書いたが、試合が質的に全く別物になってしまうことはサッカーファンでなくても容易に想像がつくだろう。

 

 だけど僕は、「だから再開するなら完全に元どおりの運営にして」とも「完全に元どおりの運営ができるようになるまで再開しないで」とも言う気はない。

 不十分な形であっても、リーグ戦ができるならそれを最優先すべきだと思う。

 ただ「#1017」で書いたのと同様に「ビジターサポ入場禁止」や「全席指定化」がどれほどの痛みを伴うものかを、Jリーグファン以外の人たちにぜひわかって欲しいし、Jリーグファンに対しては「アウェイの試合に行けること」「自由席が生み出すもの」の意義をあらためて(あるいは初めて?)感じる機会にして、コロナ禍が収まったときにそれを守っていくためにはどうしたら良いか、考えてみて欲しいのだ。

 

(文:清尾 淳)